詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part1[724]
01/13 17:18
深水遊脚

 偶然いま入沢康夫さんの『ランゲルハンス氏の島』を読んでいたのですが、散文と散文詩の境界付近にこの作品はありそうな気がします。登場する人達の何人かは、ナンバリングされた複数の散文詩の塊のいくつかに登場するし、詩集全体を覆う世界観もある気がする。それでも全体を通じて何らかのプロットがあるかといえば、短編小説と比較してそれはとても弱い。そんな印象です。

 ためしに自然数にたとえてみます。新聞の社説は10の倍数、流行小説は5の倍数、純文学は7の倍数、法律は偶数、哲学書は奇数、そして散文詩は素数。素数は1かその数にしか分解できないから、そのものをそのものとして受け取る他はない。何らかの公約数がある他の散文とは違う。
 まあ、戯言です。

追記
 詩を読むようになって、人に対する辛抱強さのようなものは身についた気がします。早とちりも誤解も少なくなりました。理解してもらえない苛立ちも減った気がします。文学は実学であると言った荒川洋治さんの言葉は案外本当かもしれません。こうして並べると何かのセミナーの怪しげな宣伝文句になってしまいそうですが。
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