【期間限定〜9月15日】25歳以上の人の『夏休み読書感想文』(原稿用紙3枚)[18]
2010 09/05 01:03
mizu K

読書感想文
■荻原規子・著『空色勾玉』徳間文庫 2010. (初出の単行本は福武書店 1988.)

その中学校はすこし風変わりなつくりで、5クラスのうち、日当たりのよい南東側の1−3組と日陰が多い北東側の4−5組を外側通路のない図書室が見事に分断しており、学年内で空間的断絶が起こっていた。普段のノートの貸し借りも、中庭の渡り廊下を使ってぐるっとまわって行かなければならず、不便なことこの上なかったのである。図書室は昼休みと放課後のみ解放されて、そのときは室内をほとんど通路がわりに行き来していたと記憶しているのだけれど、たとえばトールキンは北側の棚の低いところに、『空色勾玉』(単行本)は南側の高い棚のやや上方に空色の背表紙があって、それからたしかモンゴメリの『ストーリーガール』の編集版だったと思うのだが、『アボンリーへの道』は中庭を臨む窓の下の棚に、と今でもいくつか本のあった場所を覚えている。ある日私の貸し出しカードにならぶタイトルを偶然見た同級生から、「それって女の子が読むものだよね」と言われ、あ、一般的にはそうなのか、と妙に感心したもので、その辺の区別は私にはあまりなかったし、実は今もあまりない。先日本書『空色勾玉』(文庫本)を購入したときも、レジのおじさんの非常に微妙な笑顔に送りだされてなんだかなあと思いつつ店を後にした。

この作品は『古事記』『日本書紀』のイザナギ、イザナミの話の後日譚ともとれるが、主人公は彼らではなく、その子らである。光の男神より生まれた不死の御子と、闇の女神をまつり、死んで女神のもとへ戻りまた甦る(黄泉返る)人々。光と闇の対立という典型的な図式なのであるが、光が善で闇が悪という単純な2項対立には陥っていない。つまり、文学・漫画・アニメ・ゲーム等の(広義の)創作メディアにとくに大きな影響を及ぼしたトールキンの代表的な作品である『指輪物語』の登場後、その世界観を簡略化して再構成し、あるいはうわずみの枠組みだけを安易に利用しながら雨後の竹の子のように生みだされた、いわゆる「ファンタジー」が、倦むほどに光=正義、闇=悪の構図の物語を再生産し続けたこととは一線を画している。少なくとも、本作品が「“本格”ファンタジー」と紹介される理由のひとつはここにあると思う。

ものがたりは、迸る奔流のように勢いよく流れ、一気に書かれたのではないかと思うくらい、つっぱしる。伏線もほとんどないに等しく、とにかくストレートである。しかし情景描写については、それが登場人物の心情の表現やその後に起こる出来事の暗示になるという常套的手法がきちんと織り込まれており、また、文章を読んで風景や情景などを組み上げる読み方をする人であれば、建物の配置や構造などもかなり把握できるくらいの緻密さがある。

幾世代にもわたって争いが続き、断絶された光の勢力と闇の勢力の対立の解決には、媒介となる「仲立ち」の存在が必要であり、それがひとつの大きなテーマになっている。また微視的に見ればガール・ミーツ・ボーイという、個人的な男女の恋愛譚も内包し、実は「わたし」と「あなた」の関係の結果が世界の存亡に関わるという、いわゆる「セカイ系」の要素もあると思うのだが……紙幅がつきた(涙

#作品中では、光と闇は、《輝(かぐ)》、《闇(くら)》と表記されているが、この感想文ではなるべく一般的と思われる用語をもちいた。
#いや、しかし1200字、きついっす。すこし超えました
スレッドへ