2010 08/26 21:15
はだいろ
マーク・トウェイン「王子と乞食」を読んで。
昔むかしのロンドンシティのお話です。同じ日に、乞食の家と、王様の家に、そっくりな男の子がたまたま生まれました。乞食の男の子は誰からも祝福されず、蔑まれながらも素直に育ち、王子さまはイギリス中から祝福され、すくすくと伸びやかに育ちました。ある日、王子様に憧れた乞食が、お城を訪ねたところから、ふたりは入れ替わってしまいます。乞食は素直なこころで、王子様らしい振る舞いを行い、王子様は底辺の生活者としての冒険のなかで、庶民の苦しみを知ってゆきます。
この本の最初の頁をめくったところから、十六世紀のロンドンに、あっという間に紛れ込んでしまいます。あるときは乞食のトムの勇気ある決断に拍手をし、あるときは命が風前の灯火となるエドワード王子になりきって思わず目をつぶり、またあるときは騎士ヘンドンの誇り高く心優しい行いに涙します。
主体となっているのは、やはり、エドワード王子ということになります。当時の社会は、まだまだ、(現代社会から見て、ということですが)未熟なところがあります。王子は、目の前の人々を、救うことができません。しかし、目の前にいるひとと、同じテーブルで、同じ目線に立つということから、人の哀しみや痛みを知るということを、学ぶのです。
本(角川書店、完全版)の帯には、「幸せはいつも、ありのままの自分にしかない。」というコピーがついていますが、これは、この本のテーマとしては、間違いです。少なくとも、メインのテーマではありません。「ベニスの商人」からの引用が冒頭にあるように、テーマは、「慈悲」のこころの大切さ、なのです。それは、あいての悲しみを知る、ということに他なりません。それこそが、ほんとうの高貴さなのだと、物語の面白さを通して、教えてくれます。
今の日本で、こんなに窮屈で、こんなにみんな弱っていて、こんなにみんな息苦しい。ニートだとか、勝ち組だとか、どうでもいいけれど、どうでもいいと思いながら、お金だけが価値のように、青臭さを馬鹿にしてしまう。だけど、ほんとうに、高貴な生き方が、ぼくらひとりひとり、できないことがあるだろうか。「慈悲」のこころを、持つことが、できないと、どうして言えるだろうか。ボロボロと涙を頁の上に今さら落っことしながら、勇気を持とう、って、そう思いました。
お話は、トウェインらしい語り口で、ひとときも飽きさせず、ハラハラ、ドキドキ、ラストは胸のすくようなしかけと爽やかさ。何より、ロンドンのひとびとが、このお話を、まるでほんとうのお話として、語り継いできたということ。日本の小学校の図書館でも、ぼろぼろになるまで、借り続けられてほしいと、思います。もちろん大人になっても、深くこころを打たれます。ぜひ、もう一度、手に取ってみてください。