よろず臨時話し合いのぼやきスレ。[236]
2009 05/21 13:01
石川和広

sage
>>235
>詩をネット上で発表している女性という不確かでもあり唯一のキーワードで
>集っているだけ。フェミニストもそうでない人も。

なるほど。少し目から鱗がとれました。そうだったのですね。少し自分にも先入見があったように思いました。

僕は同人誌に参加したりしています。
集まりというものをやる限り、もちろんネガティブな評価をもたれたら苦しいですよね。しかしそれを跳ね除ける時も必要だし甘受すべき時もあります。判断が難しいですよね。それと同時に過度な期待をもたれることもありますね。
ただ、自分は運営者ではないですが、毀誉褒貶があるのが、運動体とか組織とかグループの宿命です。
政治家なんてそれを利用して、自分は寛容だとか国民の味方の政治家であるとか自分でいっています(笑)それに溺れて失脚したりもしますよね。

だからフォーラムでもそうですし、蘭の会でも、私のやっている活動もそうですが、(自分の詩の活動は、ささやかなもので、きまぐれにイベントに行ったりいくつか合評に行ったり、ある詩誌に参加しているくらいですが)
どういうふうに回りに見られているか。フォーラムの会員のみなさんもこのネットに作品を出すだけでも様々な評価を受けるでしょう。

つまり自分がどう意識しているか否かに関わらず、他者にとってどのように存在しているかというのが意外と捉えがたいものなんだなと思いました。でもマルクスあたりもいっていたけど、存在が意識を決定するという面があるのかなあと(ちがったっけ)もちろん自分に身に覚えのない批難とは戦うべきですが。そして自分の思いもまたそこで存在を主張します。これはごくまともなことです。

芳賀さんも、佐々さんもそこで様々ご苦労されているということが伝わってきました。きっと様々な葛藤をお持ちなんだろうなと。直接はわかりませんが。

他者もまた感情を持つ以上、どう考えているかを意識しながら、しかしどのあたりで自分自身としての行動を決めていくかということ。それは内部でも一枚岩ではありませんし。だからさらに難しいですね。

今回、芳賀さんや佐々さんのお話でそのように考えることができました。だからみなさん、どうやってオープンでありどのように自分自身であるかということも問われているのだなと。

話が長くなってすいません。
しかし芳賀さんや佐々さんがおっしゃったことを私なりに整理すると、意外とこのことは普遍的であるなと思いました。たぶん表現に内在する困難が女性限定という会の性質や表象とあいまってではありますが、出てくるのかもしれません。
しかしそれも私たちが、私自身が人間という類に属すると同時に、石川という独異な個人である事情と似ています。グループ等の場合どこで、構成する人の標準をとるかということもありますから、さらに難しい。
自分もフォーラムに長くいるので様々に考えるのです。とりもなおさず自分自身書いているといつもいつも良い評価ではないわけですし。ただ、僕は失敗とか挫折とかは好きではないですけど、後でやはりそれも経験だったなと思うときもまれにあります。
ほとんどは苦虫かみつぶして愚痴っていますが。。

いやでも一般論だけじゃなくて、それぞれの組織にはそれぞれの欠点と良い点があるはずです。

そういう意味で言葉は失礼ですが自分にはいろいろなことが発見でした。ありがとうございます。失礼しました。
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