2011 03/27 01:33
葉月二兎
オマージュやら盗作やらサンプリングやら単語が入り交じっててめんどくさそうな話題だけど、ようやく話がつかめてきた。
要は一つの曲とその変奏(アレンジメント)について言い合っているのだね。
一方は、あるコード(code)の連なり――つまりは楽曲――を、如何にして変奏(アレンジメント)し、作品として提示するか、それが重要という。
もう一方は原曲のコード(code)そのものを重視し、それを使うのは問題じゃないか、としている。使うのであれば原曲(名)を明らかにせよ、原曲を知らない人が聴いたらどうすんだよ!ってことだ。
一つの楽曲を巡るアレンジャーと、(原曲を作ってる人としての)メロディーメイカーとの言い分の違いってことになるのかな。
私的には原曲の「星条旗よ永遠なれ」とジミ・ヘンドリックスの「星条旗よ永遠なれ」のどちらも良いと思うし、他に例を出せば、フルトヴェングラーorクナッパーツブッシュの指揮するベートーヴェン……つまり、指揮者による“それぞれの”ベートーヴェンもベートーヴェンの曲“そのもの”もどちらも素晴らしいと思う。
アレンジャーが怒る理由もあるし、メロディーメイカーが怒るのも分かる。
けど単なる一人のリスナーとしては、どちらの意見の言い合いなど「どーでもいい」ことであって、アレンジャーもメロディーメイカーもリスナーに意見を押し付ける道理なんてない。リスナーがそれぞれ感じるままを感じればいいってだけ。
今回は原曲の変奏(アレンジ)に気づいた方が、アレンジならアレンジ元(原曲)を示そうよ!って感じたことに、アレンジャーも花粉症だかなんだか知らないけど過敏に焚き付けちゃったってとこなんじゃないかなーと(ま、それもそれぞれの感じ方でもあるんだけどさ。花粉もこのごろ酷いしね)。
と、ここまでいろいろ書いてきたけど、どちらにも一言いいたいのは、「少し、頭冷やそうか」っていう便利な言葉だけ。