05/30 13:00
石川和広
sage
もし性暴力の被害者がいて、あなた方が争うなら、それを被害者の方は望みますか。
私個人に置き換えます。私をひどく傷つけた人を私は呪ったり怨んだりしました。しかし相手を敵討ちして消す、屈服させることだろうか。
しかしそれでは私を傷つけた人に私は敗北します。なぜなら、彼の目的はいかなるものであれ、私は根底的に苦しんだ。自分は生きてて仕方ないと思わせる。ならば差し違えると思わせる。
しかしそれでは私自身が痛んだこと生きていくことを灰にしてしまいます。
他者を根絶やしにすることは自殺です。
ある人が私を消そうとする暴力に抗うのは自分を殺さないことです。
自分を殺さないことの第一用件は他人を殺さないことです。圧殺しないことです。
なぜかそうなります。他者を辱めたり傷つける暴力に、単なる反撃ではなく、他者を毀損し消すことは、自分をも殺すことです。
これは理屈ではありません。
これはあくまで私の思いです。
感情的ですいません。自分を見つめるとそうなってました。私がたくさんのネガティブな心に屈することをなんとか押さえるのはこれです。
私は愉快に生きたいんです。なかなかできませんがそれが願いです。
私は数多くの人を傷つけたと思います。ただ、それと匹敵するくらい人と深くつながりたいと思っています。そうしないと私はひどく寂しいままだからです。
寂しいままだからです。
例え埋められないとしても、少しでも変わりたいのです。文学をしてるのもその一つです。