論戦スレ。[6]
2008 11/12 12:22
白井明大

孤蓬さん

やはり日本語というものは奥深く、文語に通じてらっしゃるかたがこの場にいるというのは、詩を書く身としてうれしいことです。
それをまず申し上げておきたく存じます。

そのうえで、ということですが、共通の論点について話しているときに(もちろん意図的ではないにせよ)論点をずらすことは、避けていただけたらと願うものです。

雑談スレッド7軒目の55で前述しましたが、

>54でおっしゃっているように、
>◯短歌や俳句などの短詩を、文語を用いて表現するのであれば、最低限文語の「てにをは」ぐらいは心得ていなければ覚束ない
>には異論ありません。
>
>ですが、
>51(白井注:別スレにつき引用記号は外しました)でおっしゃっているような
>◯短歌や俳句などの短詩では、片言のような表現しか出来なければ、質の高い作品を量産することは難しいと思います
>には首肯しかねます。
>
>文語を用いて、という条件が付されるのであれば、ということです。

孤蓬さんはご自分が、51で挙げた論点を、54で翻していらっしゃることを自覚してらっしゃいますか。
文語を用いて、という留保を後から書き加えることは、共通の論点で話し合ってきた記述も時間もむだになってしまうものです。

こうしたことはその後も出てきております。
同スレ59のご発言で、

>片言の日本語しか話す能力がないのに、日本語で、短歌や俳句の名作を作るのは難しいというのは、極々常識的な一般論だと思うのですが、ご理解いただけず残念です。

とありますが、これも51から変わってしまっているのです。つまり、

51では「片言のような表現しか出来なければ」
       ↓
59では「片言の日本語しか話す能力がないのに」

ということです。

なぜ文語において文法に微細にわたり正誤に敏感であるかたが、議論においてこのようなことになってしまわれるのか、とも思いますが、それはまた別のことですし、ネット上で長い文章のやりとりをする中では生じてしまっても仕方のないことなのかもしれません。

ただ、その都度、孤蓬さんのご発言の変遷に合わせておりますと、当初の論点が不鮮明となりますので、ご留意くださいましたら幸いです。

これもまた個々の事例に留まることではなく、議論一般にかかわるものかと思い、書き込みいたしました。
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