2009 03/27 00:30
白井明大
こんばんは。
今日一日、あらためて考えておりましたが、やはりこの公開の場で、だれの名であれ、した人(加害者という言い方も避けます)の名まえを出すべきではない、と思っております。
(ただ、された人(被害者という言い方も以後いたしません)は、別です。した人を名指しする権利があると、私は思います。そうした糾弾をなさりたい時、それをなさるべきだと思うものです)
なぜ、名まえを出すべきではないのか。
なぜなら、問題は、した人が特定されれば良し、ということではないからです。
おなじことが、べつな誰かによって、また起きるかもしれない。ということです。
その「起きるかも」をなくしたいのです。
男はあほです。人間じたいがあほかもしれません(卑近な物言いにて失礼いたします。過度な不安をあおる文章は、やめようと思ってのことです。ご了承ください)。
では、具体的に何を知っているかを、もしここで申し述べるとしたら、それは、何のためだろうか、と考えました。
それは、された人がいやな思いを抱えるような性的いやがらせ等をなくすためです。
詩を楽しもうとしている人が、詩を楽しめる場をつくり、それを保っていくためです。そう考えます。
した人の名まえを、いっそこの場で挙げてしまおう、とお考えのかたもいらっしゃるかもしれません。
ですが、思いとどまるべきだと、私は思います。
だって、
した人は誰か知ったとして、
それが知り合いだったとして、
そのあと、どうするんだろう、どうするつもりだろう、と考えたら、ふと止まりました。
ここでの議論は、どうなるんだろう、とも思いました。
たぶん、私が知らないことも、たくさんありそうです。
それを知らされたら、ショックを受けるかもしれません。
それでも、
詩は、法律じゃない。
詩の場での解決の道が、かならずしも法的アプローチと同じであるべきとは言いたくない。
ただ、あほなやつが、ダメなことしたら、やめて、と言いたい。
もうすんな、とも言いたい。
でも、そいつとの関係性を断つような、そんなのは、したくない。
支離滅裂ですみません。
まず、この前提に立って、以後発言していきたいです。