2008 11/12 21:27
佐々宝砂
雑談といえば雑談、とゆーことで。
私は古文がまあまあ得意でしたが、学校の授業はさぼりまくっておりました。なんでまあまあ得意だったかというと、家にたくさん古典の本があって、こどものころからてきとーに(あくまでもてきとーに)読んでいたからです。最初に読んだのは小学生のころ、本は「浮世風呂」でした。次に読んだのは馬琴の「椿説弓張月」でした。あとはなに読んだかなあ、たしか、「堤中納言物語」「竹取物語」「好色一代男」「更級日記」の4冊は高校生までに読んだはずです。しかし内容がわかっていたかどーかは実にアヤシイ(笑 そんな私にとってもっとも役だった古典案内は、田辺聖子の「文車日記」でした。
http://www.amazon.co.jp/dp/4101175047/ 万葉の時代の古典からお江戸の落語まで網羅し、短歌も俳句も紹介したこの本は今も充分に古典案内として役立つと思います。
古典読書歴の最初期にお江戸の本を読んだ私にわかっていることは、江戸期の文語はすでに非常に口語的になっており、文法的には崩れまくっている、ということです。むしろ明治時代の文語の方がとても文語的に感じられます。なので私に気に掛かることは、孤蓬さんがどのへんの文語を指標にしているのか、ということだったりします。