批評しましょ[607]
2007 09/20 01:05
田代深子

「売れてみろ!」という話だけれども、佐々姐。
 売れる作品が出やすい、つまり買いたがる人たちが集まってお目当ての作品を手に入れやすい状況を作らなければ、売れないんですよ。いくら1本のケータイ小説が口コミで広がったって言ったって、それは女子中・高生が携帯電話ですぐに友達に薦められるほどの入手しやすい状態があったってことですもん。現代詩フォーラムや月刊未詳で、本当にすばらしい作品がひとつ発表されても、それは爆発的には売れないですよね。商業用でないからというだけでなくて。
 先にも書きましたが、「商品」として好まれるデジタル作品群は、メディア特性を生かし、誰にでも読みやすく情緒的で、かつコンスタントに読み続けられるものでしょう。名作・良作である必要はなく、手堅く手軽いもの。そしてそれらは選択しやすい状態で提供されていなければ、買い手に敬遠されてしまいます。
 たとえばコンテンツの作り方。collectorさんのような熱心な読み手は自分からがんがん切り込んでくれるでしょうが、大抵はそうではない。わかりやすくなければ面倒です。カテゴリは、自由詩・俳句・短歌…などの形式だけでなく、内容で分けてしまうというのはどうでしょう。すなわち、恋愛・家族・仕事・社会・動物・自然・夢・スポーツ・病気・官能・自傷…などとしてしまう(もちろんいくつかのカテゴリにまたがる作品はどちらからも検索できるようにすればいい)。週間トップ10と「編集部のオススメ」は必須だし、登録作家の特集や読者からのレビューも売れ筋のテコ入れにできるでしょう。
 出版はその後です。『ハリー・ポッター』1巻が500万部以上だということですが、『世界の中心で…』もそうだったように、大ヒットは多分に偶然が影響します。ケータイ小説が出版され大ヒットしたのも、その作品ゆえになるべくしてなったというものではないはずです。営業努力と偶然が多くを担っている。
 そしてcollectorさんの言うとおり、「それこそ、小説が、文章や段落の規模を携帯画面に会わせたほどの大変革が、携帯商業詩には求められ」るでしょう。それがどういうものかはわからないのですが、現代詩フォーラムの写真つき詩などが、あるいはウケるかもしれないですね。
 書いて自分でびっくりしてしまいましたが、まぁ詩を売るということは、なんと「よい詩を書く」こととは違っていることでしょうね。しかし「売れる詩を書く」のは、じつは文学的にたいへん冒険的な試みなのではないかとも思われてきます。
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