批評しましょ[5]
08/05 11:07
一番絞り

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けつろんからいうとこの詩はなかなかおもしろい。
冒頭の三行。

 「俺って結構まじめなんだよ」
  っていう男は多い
  ほんとうに多い

ぼくの感じでは、ふつうは少ないんだ。こんなアホな台詞を口走るやつは。
ところが書き手は、あえて「多い」という。
「ほんとうに多い」と、わざわざ念をおす。
これはぼくの常識に対して、意識の転換をうながすことばだったといえる。
だからぼくには、この冒頭の三行はおもしろかった。
で、次の二行。

 いったい何が言いたいのか
 さっぱりわからない

もちろん、それはそのとおりなのだ。
いったい何がいいたいのか、だれにもさっぱりわからない。
自分がけっこう真面目であることをアピールするとはいったい何か?
何に対してけっこう真面目であるのか?
性に対してか、愛に対してか、社会常識に対してか、己に対してか。
書き手はそのへんをもひとつはっきりさせてはいないが
相手の倫理の表明が、書き手にとってはまったく場違いであり
書き手の愛についての感性とまったく水と油、お門違いの倫理表明であることは伺える。
こうなってはじめてこの書き手の苛立ちの在り処がはっきりしてくる。なをかつ、
ぼくにとっては多いはずがない「バカな台詞を吐くバカ」が
書き手が「ほんとうに多い」といった意味がわかってくる。
つまり、「愛について鈍感なバカ」が「ほんとうに多い」ということが明らかになる。
これ以降の行は、最終行は別としてそういうバカが多い世の中へ、常套的な文句で
かったるい気分を塗り重ねているにすぎない。

  帰ってくれないかな
  わたしはまじめでもふまじめでもないよ
  きれいごとなセリフは聞き飽きているし
  だからなんだって言うの
  どっちだっていいよ
  暇なときはまた誘って
  気が向けば行くし
  向かなければ行かない
  それだけのことだよ

しかしこれは書き手が表現したかったことではなく、表現したかったものを浮き上がらせる
触媒みたいな作用をもつフレーズだろう。
書き手は最後にこう呟きたかったのだ。

  わたしはぼんやりしたいの

セマッ苦しく、自己弁護的で、軟弱で、セックスだけしか興味ないくせに、真面目な愛を振り回すような
そういう口先だけのバカばかりが目立つ世の中で、唯一、かなしいかな
いまのところそれによってしか慰められることのない
ぼんやりした時間をもちたいという
そういう願いが最後に響いてくる。
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