2004 08/19 23:25
山田せばすちゃん
>>138
いんや、そういう「地に足をつける」風なリアリティならいらない。
タイトルが「足」で、男が「私」の足を洗うという行為を詩の中心に据えるのなら、繰り返しになるけれど、その「愛の証」として洗われた足はけして地に触れてはならない。マグダラのマリアに足を洗われ、香油で清められたイエスキリストの足は、湖を渡ってもけして濡れることはなかったのだから。
川元緋呂子の指摘する(どうでもいいけど川元よ、作者に「さん」をつけるのはやめてくれ、いやそれは単なる個人的な好みだけれども)「脚本的」「淡々とした描写」は、俺としては「足を洗う」行為を象徴として描くために意識的に抑制しているのだ、と捉えたい。「足を洗う」行為は、「二ヶ月ぶり」の「しばらく動けなくなるほどのセックス」に勝るのだ。いや、勝っているからこそこれは「詩」なのだ。