批評しましょ[1]
08/05 01:49
山田せばすちゃん

いや、俺はこんな女と寝たくはないな、バカが伝染りそうでって、バカは性病ではないのだけれど。というわけで、チアーヌさんの「ドトールに行きたい」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=17048&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D1%26from%3Dmenu_c.phpだ

というわけで、俺が通勤ラッシュも一段落した水曜日の午前9時過ぎに片町1丁目のワシントンホテルの裏通りのホテルATRIUMから犀川通りに出て片町のスクランブル交差点越えて竪町通り入り口のドトールまで、とぼととぼ女と手をつないで朝飯食いに出かけちゃった山田せばすちゃんです(マジで実話)ちなみに車は大和パーキングに入れてました。金沢の人にしかわからないネタです、すいません。

何でこの女の人はこんなに類型的なんだろう?
>帰ってくれないかな
>わたしはまじめでもふまじめでもないよ
>きれいごとなセリフは聞き飽きているし
>だからなんだって言うの
>どっちだっていいよ
>暇なときはまた誘って
>気が向けば行くし
>向かなければ行かない
>それだけのことだよ

どんなつまんない男と寝たのかしらないけれど、白っ茶けた後朝の朝とはいえ、本気でこんなこと考えてる女なんているのかしら?もしいるのだとしたら、なんでこんなこと考えてしまうんだろう、とか言う内省がどうしてこの女にはないのかしら?

つまんない男とでも寝てしまう女というのは確かにいるし、俺も何人かその手の女を知らないわけでもないけれど、でも俺の知ってる彼女たちは「前提」としてつまんない男とでも寝ちゃう女なんて一人もいなかった。彼女たちはみんな彼女たちなりの理由で「結果」としてつまんない男とでも寝ちゃう女、だったりあるいは「とりあえずこの男の前ではそういう女だってことにしておこう」女、だったりした。つまり、俺の知ってる限りのこういう感じの女たちは、それぞれがそれぞれの事情なり理由なりを豊かに内包していて、その事情や理由を考慮に入れてこそ、彼女たちが遠い目をしてため息つきながら氷ばっかりのアイスコーヒーをすする様はそれなりに魅力的だったりするのだけれど、悪いけどこの詩の中の女にはそういう過程が見えない。んでもってさらに言っちゃえば、結果として、ではなく、前提として、つまんない男と寝ちゃえる女であることを是としていう節が見えなくもなかったりする。要は「あたしバカなことやってるなー」と言う内省がなくって、自分がやってることがバカなことだということにすら気がついていない、それどころかむしろそれがバカな振る舞いどころかなんかかっこいいとでも思ってるんじゃないかしら、などと思わせてしまうバカな女が、この詩の中にはいるような気がする。もちろんこの詩に出てくる女=作者だなんて、俺は全然思ってないし、むしろ、作者にこういう体験がなかったからこそ、平板な描写しかできなかったんじゃないかな、などと、そんなことも思ったりする。

悪いけど俺はこの詩の中に出てくるような女とは寝たくないなあ。
バカが伝染りそうだし、って言うのは冒頭でも書いたけれど、多分つまんないんじゃないかなあ、とか思うな。マグロってわけでもなさそうだけど、かなり自分勝手なセックスしそうなんだもん。

つまりはこの詩が魅力的でないのは、でてくる女が内省を伴わない非常に平板な描写しかされてないってことでね、そのリアリティのなさ、が問題なんだろうな。
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