初心者向けポエトリー・リーディング[59]
2005 01/26 15:53
いとう

ありがとです。
もちろん私見ですが、答えてみます。

1、朗読してる人にとって朗読は詩の付属でしかないのか?

 詩、poetry、というものを、どのように見せるか、提示するか、そういったスタンスの違いによって変わると思います。そして、どこに詩の入り口があったのか、自分がどういう行いによって詩を提示していきたいと思っているのか、その違いによってスタンスが異なるのではないでしょうか。テキストから詩に入った人もいれば、朗読やパフォーマンス、あるいは歌などから詩に入った人もいます。たとえば私自身は朗読(詩を人前で声に出して読むというパフォーマンス)はあくまでも「趣味」の域であり、そういう意味では、付属のものです。別に朗読しなくても困りません。けれども、それこそ、朗読という行為によって自身の詩を表現しようとしている人たちにとっては、付属のものではないと思います。逆に、そういう人たちにとっては、テキストとして自作詩を提示することが、付属になるのだと思います。


2、読まれる詩と聞かれる詩は区別されてない気がするけれどそれは文字においての表現のよさと声での表現のよさを活かしきれないんじゃないか?

朗読用の詩、という表現はいささかヘンですが、でも、そういう傾向の詩ももちろんあります。あるいは朗読に向いている詩、向いていない詩。朗読する人が個々にどのように考えているのかはわかりませんが、厳密な区分はないにせよ、朗読者自身の意識的・無意識的区別はあると思われます。私自身の場合は、朗読する詩を選ぶ場合、朗読に向いているかどうかは重要な選択要素となっています。朗読に向いていないと判断したものは、朗読しません。あるいは逆に、朗読用にテキストを変えることもあります。また、中には、厳密なテキストなどもたず、骨子のメモのみで朗読する人もいますし、同じ作品を読んでも毎回その内容に違いがある人もいますし、即興で朗読する人もいます。

文字表現と声の表現の良さそれぞれを活かしきれるかどうかは、個々人の志向性の違いによると思います。たとえば文字表現での良さを活かすための作品なので朗読はしない、必要ないと考える人もいれば、文字表現でこのように活かされている作品を、声による表現で、違った側面の良さを活かす、あるいは見出すことができないかと考える人もいるといった具合に。そしてその場合、朗読者がどのように朗読するのか、朗読者の技量も関わってくると思います。


3、朗読をする人にとって、たとえ朗読というステージの上にいても詩人であることが大前提としてあるのか?

これはもう、本当に、人それぞれだと思うし、大前提でなくてもかまわないと思っています。そして大前提であったとしても、その志向性は人によって大きく異なると思います。「詩人であることが大前提だからこういうやり方はおかしい」とか、そういう意見はありえませんよね。朗読するという行為自体を見る場合、どんな朗読をするかが重要であって、その朗読者の大前提がどこにあるかは、関係ないと思っています。

私自身は基本前提としてありますが、詩人であることがパフォーマンス上邪魔になると思われるなら、あるいは詩人であることが求められていない場だと感じるなら、別に前提にしなくてもいいかなとは思っています。ただ、詩人として朗読するのさえ趣味の域であるので、そこまでして朗読しようとは今のところ考えていません。
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