2011 10/26 14:31
小池房枝
sage 先日、とある大学の校内をこっそりとうろちょろする機会があり朽ちかけた桜並木、ぎんなん匂い立つ銀杏並木などを満喫してきたのですが、講演会か何かなのか、「放射線を科学的に理解する」というタイトルのポスターがあって笑ってしまいました。他にどうしろっていうんだ。
文学的に、哲学的に、あるいは消費心理経済学的にでも「理解」する、「理解」し得るとでもいうのか。心理学も経済学も科学だと思うが文化人類学的な理解、天文学的な理解、脱・反原発、継続・推進的な理解。「理解」という言葉の意味が分からなくなる。
#ちなみに今、「描写」や「絶望」という言葉についてもゲシュタルト崩壊中。無標と有標、パロール、コンテキスト、オートクチュールなエクリチュール、つくづく言葉というものは個人的なものだと思う。