ニューススレ[85]
05/27 23:34


 高遠さんの口から出た意外な言葉、それは「自衛隊を撤退させなかったのは当然」。

 数多くの人々が、あの拉致拘束事件と自衛隊派遣を混同して議論を交わしてきたが、何のことは無い。当事者が本来あるべき当然の言葉を発してくれたことには、素直に拍手を贈りたい。今更ながらと考える方もいるかもしれないが、話を巻き戻す。

 政治経済情報誌SAPIOの今週号(明日になれば先週号か)において、NGO/NPOに関する特集が組まれていた。その冒頭では作家の曽野さんが自身の活動経験を踏まえての丁寧な発言をなされていた。そこには、彼女の外国に対する認識の甘さ、奉仕活動に対する認識の甘さ、そういったものも指摘されれていた。
 特筆すべき部分は、曽野さんが奉仕先で牧師さんから教わった言葉だろう。「楽しくなったら止めなさい。」楽しくなった時点でそれは、自己満足でしかないのだから。
 奉仕とは本来そうであるべきだが、ボランティアという言葉にぼやけてしまっているように思う。ボランティアをすることで生活をしている、生計を立てている人が存在すること自体に矛盾がある。孤児を育てる牧師だって、本業は牧師なのだ。誰しもに本業があり、それに並行されるカタチで奉仕=ボランティアがある。しかるに今、あちこちに点在するNGO/NPO等はどうなのか。イラクを目指す彼等は、どうなのか。
 話題の戦場の現状を伝えることは、一種のブームメントだ。同列もしくはそれ以上に悲惨な地域が沢山あるだろうに、日本人にはブームメントに便乗する傾向がある。勿論、それを全否定するワケではないが、何故、今の時点でイラクなのか。もっとずっと前からイラクじゃなかったのか。彼等はこれから先も、イラクなのか。私は、そこにこそ注目したい。(アメリカが悪を撒き散らかしている場所は、何もイラクだけじゃない。)

 彼等の活動目的が「今のイラクだから」ではなく「ひとつの奉仕先だから」であれば。そして、彼等を見る私たちの視点が、そうであったらば。自衛隊撤退とイラク邦人拘束事件とを関連付けて、だから撤退させろ!などという言葉を発するには至らなかった筈ではないのか。そもそも犯人の要求を呑むことが、どんな結果を招くのか?それは北朝鮮との交渉を見るに明らかだった。
 いわば、高遠さんの口から漏れた言葉「自衛隊を撤退させなかったのは当然」は、「拉致被害者を返さない北朝鮮には援助を行わないのは当然」と同じことなのだ。(ここ、重要。)

 彼女の活動は、正直、甘い。
 特に今回のイラク人虐待では「イラクでは肌を人に見せることを極端に嫌う」との報を耳にした方も多いと思う。それを聞いて、彼女は活動の一環として、イラクの少年(とは言ってもイスラム社会においては成人年齢)たちにシャワーをかけてあげていたことを思い出し、じゃあ、あれは・・・?と思ったのは、私だけではないのではないのか。他にも、彼女の自著の内容を知れば、ああ、これは自己救済が目的なんだろうな、と考えずにはいられない。
 だがしかし、そんな彼女にも国際的視野はあった。それは、多くの日本人から欠落している、最も大切な部分だったのではないのか。

 高遠さんは今も精神的に苦しんでいるという。
 無事に回復した暁には、今度こそ自己救済ではない、本当の意味でのボランティアを行って欲しいと、切に願う。願わずにはいられない。しっかりとした本業で自分を養いながら、副業として人々を支えて欲しい。
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