2005 03/04 00:46
石川和広
僕は、北朝鮮との国境に住んでて、かつて日本で職場が
いっしょだった中国人の青年がいて、彼はチャイニーズもコリアンの言葉も使えた
イヌにくも一緒に食べた
在日の詩人の方にも会った
みんな、そういうふくざつな境遇にさらされた人にであったことがあるだろうな
僕は、ポエジーと現実のつながりが
どう実現できるか出来ないか考える
出来ても、出来なくてもさくひんになる
でも、僕は、人の心の中の言葉や叫びが
具体的な他者との語りかけの場面で、どう機能するかよりも
こういう表現は、自分の思う世界、人の原イメージと如何に話が出来るかが
かたりかけるか、祈れるかが
創作行為をより蜜にすると考える
友達の顔、手、たたずまい、そういう現実と内世界の接点に詩らしきものは
出来てくる
だから、原口さんは、技術論、思想そういうものの元となる、自分にとっての
新たなるニュースの遭遇を考えていて
そこに思想はあるのだろうと思う
在日について詩人、創作の論
「「在日」のはざまで」平凡社ライブラリー 金時鐘著
「在日」という根拠 」 ちくま学芸文庫 竹田 青嗣 (著)