07/11 22:37
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>>[496]>>[497]
いかいかさん、複数性の原理は肯定する側がその適応個所を見極めれば良い問題なんですよ。これを提示するということは即ち、提示する側が不利益を被るということなのですから。適応される側からして見れば、最初から優位に立てるとも言える。問題は、この優位性が対話の一部分ではなく或る種の上下関係に受け取られ兼ねないということなので、そのへんはハッキリさせてかなきゃいけないのですが。こういう言い方には語弊があるのかもしれませんが、犬をしつける時のような感じ?まあ、最初が肝心ということでして。
幾つものコミューンが、この原理を境界線にどう充てはめるかによりますよね。いかいかさんの挙げた排他的な原理主義宗教ってのは往々にして先祖代々の土地に執着しており、そこと、そこでの生活形態さえ侵されなければ良いとする者たちであるというのが基本でしょう。それがオウム真理教のように拡張しようとすれば、社会秩序がそれを許さないだろうし、実際に彼等がそんな道を選択する可能性など無いに等しいんじゃないでしょうか。
つまり採用しない集団が弾圧されるのではなく、採用した側がそれを採用しない側との間における緩衝材として成立させ、その維持費を自らが支払うことで争いを退けるという。触らぬ神に祟り無し、みたいなね。