ニューススレ[361]
07/07 02:26
佐々宝砂

※さんと私は、意見が相容れないというより、世界観が大きく違うのではないかと思います。

※さんの枝葉と幹のたとえを再々度使わせていただきます。たとえとして便利ですので。※さんはこの人間社会を、森のようなものであると捉えているようです。※さんの世界観では、樹齢何千年の大きな木が何本も立ち並び覇権を争い、小さな木々も草もあってお互いが自分を守るべく争っているのではないでしょうか。そして、守らねばならぬ古木が存在すると考えるからこそ、その古木を守ろうという意志をお持ちなのではないでしょうか。

一方私は、この人間社会を、絡み合ったアケビのツタのような、わけのわからない複雑怪奇なもつれの塊であると考えています。葉も花も実もあるかもしれませんが、幹はありません。ツタばかりがあります。あるていど太いツタはあります。しかしどこにも幹はありません。ツタは激しく枝分かれし、横とからみあい、融合し、あちこち自分勝手に根を下ろし、無茶苦茶なカオスになっているため、どれが最初の根だったのかは誰にもわかりません。そのような状況であるにも関わらず、「私の属する根こそが最も重要で、最も古く、最も守られるべきものである」と主張する人々がたくさんいます。しかし実際には、どの一本の根が抜けても、もつれあったツタ全体が滅びることはありません。なにしろ根はたくさんあります。そして、どの根も、重要性は等しいのです(傍点がふれるなら、この一文に傍点ふりたいです)。この根は重要だがあの根はどうでもいいということは、ないのです。

たとえを用いるのはひとまずやめて、また※さんがどうであるかはさておくとして、私の属性について言いましょう。まず、私が人間社会に属しているのは確かです。身体的性別は女性で、性自認も女性ですが、バイセクシュアルです。年齢は36です。

国家単位で言うならば私は日本国の国民です。民族単位では、大和民族であろうとは思いますが、確証がないのでわかりません。朝鮮族の血が混じってるかもしれないし、中国系の血が混じってるかもしれません。もしかしたら、北方系の血が入ってるかも!と想像をふくらませるのは自由ですが(私はなんでか知らないけど小さな頃から北方に憧れを持っています)、私は太平洋側に住んできた漁師と商人の家系からできあがっていますから、南方系の方が確率高いように思います。まあ要するに、私の遺伝はどこからきたかわけがわからんということです。地理的には間違いなく日本の東海に属しており、そのため民俗的にも日本の東海に属します。暴れ祭をやり、遠州弁を喋り、新しもの好きのためかよく試験販売の対象になり、カツオとマグロと茶を好みます。経済的には下流で、製造産業に従事することが多いですが、サービス業も農業もやります。学歴は高卒です。政治的には、まあ左です。地方自治選挙・比例制選挙では共産党に投票しますが、共産党支持ではありません。シンパより役に立ちません。衆院選のときにはそのときどきで支持政党を変えます。今回の参院選についてはまだ決めかねています。娯楽文化的には、主に英米の音楽を好み、にも関わらずどちらかといえば米国の映画を嫌い、しかしどんな言語による文学でも(日本語に翻訳されているならば)喜んで読みます。サッカーが好きで、国際試合を見るときには徹底して日本チームびいきです。

宗教的にも、ややこしいことになります。私はクリスチャン(プロテスタント)で、でも近所との祭のつきあいがあるので神社の氏子で、また先祖の墓が寺にあるので寺の檀家です。ほんとはそういうのはキリスト教徒としてはあかんことになっていますが、日本人のクリスチャンの中には、私のような人間が少なくはないはずです。宗教的な寛容性を持つ日本人だからこそできるワザとも言えます。私は確かにいろいろなものをごまかした上で、このような存在になっています。しかし現実的な行動としては、そう悪くないのではないかと思います。争いもなく八方丸く収まります。なお、私は、民俗行事におもしろがって参加するたちなので、庚申講にも参加しますし、機会があれば、パプアニューギニアだかどこかのセックスゲームにも参加してしまう可能性すらあります(笑)。

言語は日本語です。これだけはきっぱりと断言します。私は、言語以外の点では純血ではありません。しかし、その言語すら、本当は純血ではありません。日本語自体が、ウラル・アルタイ語族に属していて孤児ではありませんし、方言を持ちます。先に書いたように、私は遠州弁を喋ります。しかも生まれは駿河なので、ちょいと駿河弁の語彙が混じります。ま、標準語を操ることはできます。ふつうに喋っても標準語に聞こえると思います。


さて、またたとえ話に戻ります。私の属性、すなわち私の根(根とはつまりネイションです)は、全部でいくつあったでしょうか? これだけずらずら並べても、おそらくまだ書き落としがあります。ものすごくいっぱいあるのです。それぞれの根の私にとっての重要性は、それぞれの根が私から遠いところに根をおろしているか近いところに根をおろしているかで決まります。私にとって日本国家は、スウェーデン(別にジンバブエでもノルウェイでもかまいません)より重要ですが、それは日本国家という根が私に近いからです。日本国家という根は、私にたくさんの水や栄養を提供してくれています。スウェーデンやジンバブエの根は私にちょっと水をくれます。遠いですが、つながってはいます。水をもらってないとは言いません。私はスウェーデンの児童文学作家リンドグレーンをこよなく愛し、ジンバブエの民俗音楽をときどききくからです。また、輸入された食べ物などで、知らないうちにもつながっています。実際に栄養をもらっているのです。そのようにつながっているとはいえ、私の視点からみれば、根の重要性には差異があります。それは認めます。

しかし、からまりあったツタ全体を眺めてみれば、どの根も等しく重要です。というか、等しく重要であるべきなのです。どれかひとつの根が強大になったとしましょう。現実で言うならば、いまアメリカ合衆国がそうした根になりつつあります。そして、そのような根は、危険なのです。なぜなら、一本の根だけが重要になった時点でその根が切れたら、ツタのからまりあい全体すなわち人類全部が一挙にダメになりかねないからです。一本の根だけに頼るとそのようなことになる可能性が高くなります。2本の強大な根がにらみ合う状況(かつての米ソ冷戦のようなもの)も危険です。戦いあってともだおれするかもしれません。多くの根があるからこそ、人類はここまで続いてきているのだろうと私は思います。

さて、最後に日本についてちょっと述べましょう。これはほんとに「ちょっと」です。この段落では、現時点での日本の領土と、そこにある文化と人のことをまとめて日本と言うことにします。地理的な意味での「日本」と、そこに発展した「文化」と「人」のことであって、国家でも民族でもありません。そんな難しい定義でもないし、この場で便宜的に使うだけの定義ですから、勘違いしないで下さいね。で、ここでいう日本は、単一民族ではありません。下手に書いて間違って細かい点を指摘されるのもいやですから、歴史的な説明はしません。とにかく日本に住む民族は、単一ではないのです。それは明確な事実です。日本の宗教もまた、単一ではありません。天皇が仏教を国教と定めても、神道はなくなりませんでした。なくなるどころか分裂して増えました。また、細かいことは面倒なのでやめますが、わりあい古くからキリスト教が伝来してると歴史で教わったはずです。もちろん現在はいろいろありですから、イスラム教徒もいるでしょうし、ヒンドゥー教徒もいるでしょうし、そのほかなんだか私の知らない宗教がいっぱいあるでしょう。一方、神道でも仏教でもない小規模な土着宗教を守り通してきた流れもあるでしょう。このわけのわからない混沌こそが「日本の現実」であって、日本の宗教がふたつしかないなぞということはないのです。現実を認めたい、と私は考えます。もう一度言います。現実問題として日本は単一民族ではありません。現実問題として、日本は単一の宗教を持ちません。現実問題として、日本の文化は一様ではありません。日本は一本の幹からなるのではありません。多数の根を持ち、多数のツタからなる塊で、他の多数の塊と複雑にからんでいます。それでも日本は、たぶん世界で一番か二番くらいに単純な構造をしています。他の塊はもっとぐちゃぐちゃです。たとえばアフリカという塊(地理的な意味で「アフリカ大陸」のことを指すと考えて下さい)は、たくさんの国家とさらにむちゃくちゃたくさんの部族があるうえに、国家と各部族は、ほとんど一致していません。


※さんにとってどうであるかは知りません。少なくとも、私にとっての世界は、現実は、このように複雑なのです。
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