06/27 14:57
一番搾り
ま、「被差別部落」についての一連のレスは、おしなべてどれもこれも
とんでもない差別意識の露骨な発露でありましたね。
なんとなれば、差別反対論者も、一方的に差別者呼ばわりされている人も、
人間というものを決して単独者としてとらえないで、ある種の
集団、(この場合は被差別部落民の一員)として捉えて発言しているから迷路から逃れられないのじゃないのか。
人間を集団の一員とみなす発想、これこそがじつは差別そのものなんだけどね。
一個人が、「あなたがたは被差別部落というものを勝手に規定し、そこに住むわたしをそう呼び、
また部落開放同盟などという団体もわたしをそう呼ぶが
わたしはそんなことは知らない。関係ない」と宣言することを、許しはしないからね。
開放同盟てなんだよ。かってにだれかを部落民と決め付け、部落仲間であることを
要請する。
それは「被差別部落」を勝手に規定し、そこの住民を差別する感性とまったく同じものじゃないかと、「仲間」が言うことを許しはしない。
本来、だれが被差別部落民であるか、なんていうことは、単独者にとってはまったく関係ないことだといえる。
そこのところをきちっと押さえれば、どこにも「部落民」なんて本来存在しえない。
また、そこからしか「部落民」なんていう発想を廃止する根拠は生まれない。
カミングアウトもくそもあるか! って態度がひつようだな。
そんな愚にもつかないことする必要なんかあるかい! てね。
なんとなれば、単独者としてのわたしは人間であることでしかありえないのだから。
こんなことをいうと
いや、歴史的にね、被差別部落は厳然としてあってね....そういう差別から開放されるにはね...
なんていう講釈を当事者でないものがお節介に介入して説明してくるのだろうけど、差別は
あくまでも当事者である個々人の問題だし、
当事者である個々人の問題である以上、その数だけの「個人的」解決法があるということだ。だれかが勝手にだれかを被差別部落民と規定するお節介をやめれば一番いいのだ。