06/22 14:16
石川和広
岡さん、はじめまして。
>>180、賢治さんのことは、あまりくわしくないので、わかりませんが、若森栄樹というフランス文学者も、日本には歴史がない、といっており、まったく同感で、読んで涙が出そうになりました。
飯島耕一という建築評論家も「ミシマからオウムへ」という本の中で、日本文化は、三島が象徴的であるように、空虚な空転を繰り返しているという旨のことを言っていました
わたしも、この国の文化の空虚さに悩んでいたので、数年前読んだとき、目からうろこでした。しかし、病気になり、今まで、生きてきた中で、いろんな方の恩恵を感じるとき
良識あるひとは、みんな同じ問題を感じていると感じました。
確かに、この国は、ずっと止まったままです。
そして、その停滞をどう変化させるか、は、その状態を肯定も否定も、できないでしょう。このくにでいきるなら、この国の来歴を丹念に調べることは大事と思います。
ぼくは、深沢七朗が好きです。そして天皇の首が落ちる小説「風流夢譚」をかいて、中央公論の人が、殺されたとき、三島は深沢をかばったそうです。
だから、三島は、日本の矛盾を背負っていた可能性があるかも。
僕は、すこしずつでも進歩しつつあると思います。夏目漱石の、「私の個人主義」も当否は別にして、苦悩しつつ鬱のなかで外来文化の英知を単純に引用するだけでなく、自己本位、個人の内発的進化を訴えました。明治という大変な世の中で。
空虚な日本の文化を嘆きながらも、少しずつ変えていく材料は、あると思います。
ぼくは、その可能性を信じたい。それには、まず自分の体やそれが感じる世界の声に、素直に感じ、耳を澄ますことしか僕にはできません。
佐々さんにも紹介しましたが、戦死した詩人、竹内浩三は、賢治さんの農民芸術に関する論考をよんでたみたい。
僕は賢治の「疾中」はすきです。近代文学は、三島にとどまらず、肥沃な沃野に感じられます。啄木も面白い人です。