ニューススレ[161]
06/20 02:56
佐々宝砂

>>160
もう最後ですか(笑
繰り返しますが、正式に国旗国歌として制定されていても、どういう見解を持ってもいいという政府方針です。歌わなくてもかまわんという答弁が、いまんとこ政府の意見ですよ。※さんの意見をそのまま受け止めるならば、公の場で私を表現してはいけないということになりますが? 私としては、それこそ子どもが見てるんですから、私の個人的見解を示すためにも、歌いません。日の丸に敬礼もしません。かといって、別に日の丸につばを吐きかけもしませんし、君が代を歌わないから起立しないからと言ってその場すべてをぶちこわすような大騒ぎをするわけでもありません。単に静かに座って、私の素直な意志を示します。そのあとは気分よくサッカー観戦して、日本ばかりひいきして応援して、騒いで、愉しみます。そうした行動は私なりの公私の止揚であり、公私の混同ではありません。さらにつけくわえておきますが、私が日の丸と君が代に敬意を表さない理由は、私的な理由ではなく、公的な理由です。私的な意味では、日の丸も君が代も悪くはないと考えています。しかし日本という国全体を考えたとき、つまり公の視点でもって考えたとき、日の丸と君が代を好まない人がいるのは事実です。また日の丸と君が代が果たした歴史的事実を顧みるとき、そのようなマイナスイメージを持つ歌と旗は、国旗国歌にふさわしくないと考える。それは私個人の見解ですけれども、私の私的な好みに基づいた見解ではなく、私なりに公を考えた結果の見解です。

で、まだいまいち下調べが甘いのですが、公私と徳についてのべておきます。儒教思想は日本人の奥深く浸透しており、天皇制もそれと無関係ではありません(私個人は儒教にはいろいろ問題があると思っており、そんなに好きでもありませんが、いいところもなきにしもあらず)。明治以前の日本が、天皇を抜きに、なおかつ天皇をいちばん上において政治をすすめることができたのは、儒教思想が浸透していたからとも言えるのです。論語から引用しましょう。

子(し)曰(のたま)わく、政(まつりごと)を為(な)すに徳(とく)を以(もつ)てすれば、譬(たとえ)ば北辰(ほくしん)其(そ)の所(ところ)に居(お)りて、衆星(しゅうせい)之(これ)に共(むか)うが如(ごと)し。

いろいろな解釈がありますが、政のいちばん上にたつ人が徳をもっているならば、そのひとが特になんにもしなくてもまわりがきちんと動いて政治はまともになる、という解釈が一般的です。こういう思想がひっそり奥深く浸透していたために、政のいちばん上に立つとされていた天皇は、明治〜敗戦までの短い期間をのぞき、ほとんど政治にタッチせずただ「徳」を磨くことだけ考えていればよかったのです。今もまあそんなものであるはずです。だって実際には象徴に過ぎないのだし、政治的役割だって儀礼的な形式に過ぎません。天皇は徳をもっていればいい。明治以前はそれで済んだのですし、今もそれで済みます。海外にご挨拶に行くような礼儀ももちろん「徳」の一部ですので、そういうことをきちんとして、お勉強して、徳を磨きさえすれば、他には何もしなくていい。で、問題は「徳」とは何か、ということです。現在「徳」が変化していると私は書きましたが、それは正しく言うなら「徳」に対する意識が変化しているということであって、本来的な「徳」には変化がないと考えます。何の話だとお思いになるかもしれませんが、この話、皇室の公私の話につながりますので、しばしご容赦を。

ものの本には、「仁(人を思いやる)・義(正義を貫く)・礼(礼を尽くす)・知(知を磨く)・信(人を信じる)」の五徳が儒教でいうところの「徳」だと書いてあります。このうち、いちばん大事な土台が「仁」です。人を思いやる、つまり利他的愛がない限り、正義を貫くだけではダメ、礼を尽くしてもダメ、物知りでもダメ、人を信じ込んでもダメ、仁なしではとにかくダメなのです。とにかくまずは愛です愛。家族血縁祖先に対する仁は、まあいちばん下のレベルの仁ですけれど、それとて必要なことは確かです。さらに大きな仁は、小さなレベルの仁の上に確立しなくてはならないものであって、下のレベルの仁を無視していいというものではありません。皇太子さんが今とりくまねばならないことは、天皇家の一員として自分の持たねばならぬ大きな公の仁と、自分の妻に対する小さな私の仁を、いかに止揚するか、という問題です。公と私をうまく止揚する、まんなかをとるのではなく、止揚する、それが儒教でいうところの「中庸」です。そして中庸であること徳を持つことを要求される浩宮さんは、公私どちらの仁も無視してはならない。滅私して公をとるのでは、中庸とは言えません。また、彼は、滅私を今の世の規範としてはならないとも考えていると思います。明治以後のかつての日本は、国民に滅私を要求したあげく、かえって国を滅ぼすようなことになったのであって、今それを繰り返すべきだとは考えはしないでしょう。だから彼はいま非常にたいへんなことをしているし、考えてもいると思うのですよ。憶測報道に対して沈黙していてよい、という見解も、いろいろと考えた末のことでしょう。
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