04/19 02:00
佐々宝砂
詩も書けないし詩の感想も書けない、おまけに眠れないので夢ネタも書けな〜い、ので、雑談をします。
昨日、NHKで田端義夫ショーを観ました。余談ですが、うちでかかってる音楽は和洋問わずものすごーく古いのです。私が60〜70年代のロックを聴き、夫は戦後すぐあたりから70年代あたりの歌謡曲とテレビではやらないようなフォークを聴きます。戦前の歌謡曲もよく聴きます。クラシックは二人とも好きですが、私が国民楽派好きで、夫がバロック好き。お互いそんななのでドライブ中の音楽はぐちゃめちゃです。ビバルディのあと「イヨマンテ」でそのあとドアーズで次にかぐや姫で、そのつぎレッド・ツェッペリンだったりするのです。いつの時代の人間だわたしら。
で話を戻してバタやん。神野美伽とビギンとの共演だったのですが、神野美伽もビギンも完全に田端義夫に飲まれておりました。田端義夫ショーだし田端義夫は歌手としてものすごい先輩なんだから、田端義夫を立てなきゃならないというのはあるでしょう。でも、それだけじゃないと思いました。バタやんはもうだいぶ年なので、自分の持ち歌でも高音部がちゃんと出ません。音程が怪しいのです。「かえり舟」がいちばん音程確かな感じでしたが、低音部が下がりきっておりませんでした。それでもさすがにリズムは正しいので、ビギンのギターはきちんと合っていましたが、神野美伽と一緒に歌うと、ぜーんぜん調和しないのです。そのくらい音が狂っている。だのに、バタやんが唄うと、聴く人に妙な感動を与える。一方、バタやんの持ち歌を神野美伽が唄うとさっぱり面白くない。音程はもちろん神野美伽の方が正しいと思うのです、でも、絶対にバタやんの方が面白い。聴く側が緊張してしまううえ、お喋りやめて正座して聴かないといけないような、なんというか異様な「味」としかいいようのないものを、バタやんは持っているのでした。
歌手だのに、音程も超越したような歌を唄い、しかも聴かせてしまう。ひとつことを六十余年やってるとああいう味が出るものなのか。ああ私はまだまだだなあと思いました。詩を書き始めて私は20年。ネットで感想書き始めて5年。ほぼ毎日詩を書くようになって3年。ほぼ毎日詩に感想を書くようになって16日(笑)。目指せ継続。目指せネット詩界のバタやん(なんだそりゃー)。まあ、とにかく続ける。あまり才能があるわけでなし人望があるわけでなし、私にできるのは続けること、やめないでいることだけなんでは……と思いつつ、さて詩の感想を書いてきます。
……と思ったんだけど、まだ詩の感想を書く頭脳が働かない。というわけでMOD機能を使っていわずもがなの付け足しです。
何号の週刊サンデーだったかな、「勝手に改蔵」のテーマが「そこまでやったら何も言えません」というやつでした。半端におじょーさまな格好をすると変な人だとひそひそ言われますが、これでもかというくらいにコテコテに徹底的にお姫様スタイルにしてしまえば、まわりの人は何も言えません完敗です、という感じになります。うむ。確かにその通りだ、と思いましたね。私は徹底が足りん。半端です。毎日やるぞと決めても挫折する。私はしみじみ中途半端です。ネットの世界には、「このひとすごい……(半ば以上呆れて絶句)」という感じの人がたくさんおります。呆れられるくらいにならんとなあ。