2004 09/26 13:53
石川和広
石牟礼さんは、悪い意味つまり血統差別的な意味でなく、女性が、子を産むことは、なかなかに深い意味があり、自分にとって貴重なことだといっていたような気がします。ちがうかったかな。これは、安易に出産本を書く人ともちがうと感じます。エズミさんもいうように、かなり深刻に、女の体というものそのものを見る目からも判る気がします。
それと、私は、マザーコンプレックスは自分でも強いかなと感じる。中上は、わりかた、あの世代の人では、偽善を嫌って、女性を描こうとして、なかなか苦労していた気がするんです。ここは、是非は別にして、開き直るおやじや、フェミニストぶろうとするところから、免れていたんだろうと。
しかし、中上にも、歴史的な限界としかいいようのないものがあったんじゃないかな。
どれだけ、倫理的であろうとしても。
あの時代の先鋭たちに、高卒で、ついていこうとしたのも、大変なご苦労があったんじゃないか?僕は、第二次ベビーブームだから、大学の受験人口が多くて、行ける有難さを集団的に体験した最後くらいの世代かなと思う。ぼくの知り合いには、精神病で、高卒も無理で、何年も病院はいった人もいるから、また、そういうケースもあるんだけど。。
田代さんは、僕も賛成なんだけど、中上は前作を乗り越えようと頑張ってたところを、いいなと思ったみたいだね。だから、僕は柄谷は、いい部分もある批評家で、僕も、すごく勉強になったんだけど、なんか中上に対して、ひどいと思うのです。なんかね、自分を成長させようとするのは、作家の性であってね、それを「批評」とくくるのは、ただしいようで、対等な位置にはたってないよね。
それと、単純に田代さんにだけ向けてじゃなくて、疑問なんですが、母性への、葛藤は、男の子とはちがうにしても、女の子も大変だと思うのです。僕は、笙野頼子さんの「母の増殖」とかで、感じたんですが。
多分、それをこわがって等閑視される女性もいてはる気がするのです。