2009 05/20 20:44
石川和広
>「他人を守るため」
昨日一昨日くらいにマスクの効用をいろいろよくわからないなりに
調べていたら、そういう意味合いの方が大きいもののようですね。
>皮肉な教え
まとまった対策を取るなら、それはある程度広い範囲で共有されるわけですからね。基本的に隣人の健康を損なわないように考えるので。
それが感染の拡大を防いで自分にも返ってくる。
つまりなんというか想像力がいるってことでしょうか。
どうしたらベストかなって誰かがあるいは自分が考えて
それでいこうとなるわけですから。
確かに人類なんて滅びても知らぬでは対策は成り立ちません。
ただこれまでの全体主義がウィルスまでも射程に入れていたかはわかりませんが、ウィルスという異なる生命にも思いを致していかねばなりませんから
それを最終的に無害化させるとしてもそのウィルスという異者のことを深く深く知って考える優しさがあったほうがいいんでしょうね。
ウィルスのことを人間が考える余地といいますか。
例えば自分自身、抗体をもつってことはウィルスに対応する部分をもつってことだから、そうやって繰り返し繰り返し自分とそれ以外への境界線を移動させながら、人間全体も生きてきたのでしょうね。感染による反応はさしずめ激論のようなもので、身体がくたくたになりますね。免疫が弱い人だと死に至るまでの。
ミトコンドリアも原生動物と聞いたことがありますし、腸内細菌も飼ってますし、話はずれちゃった感もありますが、人間自体がちがうものと接触しながら、その身体の組成を変えてきたのでしょうね。
ある程度いま罹った人が出ていますから、その人たちは抗体を持ったのでしょうね。でも様々に変異もしますから、そこをどう考えるかですね。
自然の教えっていっぱいありますね。
自分は一度インフルエンザにかかったことがあって、あれはいわゆる「季節性」といわれるやつかもしれませんが大変きつかったです。
季節性と同程度といいますが、毎年それで亡くなる人が出ていますから、インフルエンザはいつでも怖い病気なんですね。
感染症は人間のつくる社会そのものから出てくる部分が大きいのでしょうね。同じ空気を吸うのもそうですし、場所を同じくすることも。そして食料をたくさん取るために飼っているところに、例えば豚や鳥から発生するのもまさしくそれは人間の社会が作り出した最大の自然的脅威という。これも皮肉な事態です。
お話できて何かいろいろのことを考えることができました。
自分は今は体力があまりなく家にいることが多いのですが、周りが凄く静かで不思議なんです。そういえば夜は多くの方が外食せず家で食事しているのかなと思いますと不思議な気持ちになります。
とりとめのない話をしてしまって。。
お話くださってありがとうございました。
sage