昔、横堀さんというおじいさんと
芳賀梨花子

 昔、横堀さんというおじいさんとお話しするのが好きだった。横堀さんは南極にいったことがあるみたいで、オーロラの話とか、地吹雪の話とか、それから私をお膝に乗っけて「娘さん よく聞けよ 山男にゃ 惚れるなよ」という唄を教えてくれた。小さかった私はえらくその唄を気に入って、それから、たとえ三歩でつぶれてしまうような砂山を登る時でも山男の唄を歌っている。それでも月日がたって「娘さん よく聞けよ 山男にゃ 惚れるなよ」という歌詞だけリフレインするようになっても、私は横堀さんのことを忘れていない。

 時々、思う。山に登る人は、脇目も振らずただがむしゃらに頂点を目指すのか、それとも岩間に咲いている花に心を許したりするのかなどと。ヒマラヤの麓には石楠花の森があるという。低木ではなく天にむかって幹を太らせ枝を張り大木となった石楠花の森。そこを通り抜ける時、山男は何を思うのだろうとか。生と死。それとも、好日山荘にコッヘルを買いに行った時に見つけた、街路樹の根元、わずかな地面に根付いた一株のたんぽぽみたいな日常。私ならそんなものになんの感慨も寄せない。いつのまにかそういう人間になっていた。

 でも、彼は違う。たとえば、荒涼としたなんにもない岩ばっかりの荒地で一株だけ咲くたんぽぽに巡り合ったなら、お前はどう思うか?とか尋ねるような人だった。いやおうもなく時間は経過する。小雨ぐらいなら傘はささない。犬の遠吠えに共感する。月明かりも時には頼りになる。時間というものは人を変える。いつも彼の問いに答える為に、太古の海底を晒す断層のように苦しむけれど、そのうち妙に納得してしまう。ライオンの歯の様だと言われているたんぽぽの葉っぱを摘みベーコンのサラダを作る。彼はそういう人だった。彼を思い出す時はいつも焚き火とベーコンのよい匂いがする。爆ぜる火を眺めては何時間も横堀さんの話をした。彼は笑っていた。多分、私も。でも、もう、好日山荘は銀座に、あの場所にない。大手量販店に吸収合併されたんだ。
 
 キャンプの夜に必ずコッヘルを満たしたたんぽぽコーヒーをひさしぶりに飲んでみた。身体にいいんだよと言うけれど、やっぱりコッヘルの底まで飲み干せない。もう、何年も山に登ってはいない。犬の散歩をする早朝。新聞屋さんの次に早起き。たんぽぽコーヒーは目覚ましにならない。でも、今年、一番、最初に咲くたんぽぽを探す。かといって、そいつが一番に綿毛になって飛んでいくわけじゃない。黒い犬が見上げる空が明るくなる。いつのまにか朝日を追いかけるような生活が去って、朝日が背中を追ってくる。昔、横堀さんというおじいさんとお話しするのが好きだった私の。



自由詩 昔、横堀さんというおじいさんと Copyright 芳賀梨花子 2006-12-30 15:48:30
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