俺と鳥
緑茶塵

鳥を姪に返そうと思う。
昨日から預かっているのだが、どうにも相性が悪いので、鳥を姪に返そうと思う。
今日は休日だから、兄の家には誰かしらいるはずだった。

今朝の曇り方は酷い有様で、空全体が何かを蔑んでいるのかと考える。
空ごときに蔑まされる対象が、該当するならするで嫌な気分だが雨さえ降らなければどうでもいい事でもあるような気がした。雨が降り出した場合鳥かごの鳥は濡れてしまうわけだから、傘かかごを覆うビニールか何か用意すればいいのだが、それも面倒だし何より相性の会わない鳥と大雨の中を歩くというのは想像の中ですら酷く気分を害するこの事なので、現実にそれが起こるとしたら、俺が鳥を目的地に届けるのを諦めた時だと思う。
だから傘も鳥かごを覆うビニールも探さなかった。タバコとバス代だけもって出かけた。

マンションを出ると鳥を預けに来たときの姪の顔を思い出す。大事なペットなのだから、判れて寂しそうにする物なのじゃないかと思うが、なぜか嬉しそうだった。
「ありがとう、おじちゃん」
その感謝にも二日と答える事が出来なかったわけだが、とくに申し訳ないとか鳥の更なる引取り先の事を考えたりはしなかった。ただちょっと、バスの隙間から晴れ間が見えたので、その事の方が気にはなった。

隣に乗り込んできた壮年の老人が鳥をじっと見ていた。人の良さそうな老人なので事情を話して引き取ってもらおうかとも考えたが、姪っ子が何も知らずに鳥を見に我が家にやってきた場合のことを考えて、今はよす事にした。老人は案の定話しかけてきて「昔はたくさん飼っていた」「この鳥は人にとても慣れている」「大事に飼っていますね」と言って俺の降りる二つ前のバス停で降りていった。
兄の家で引き取り先が見つからなければ、あの老人に託しても良いのではと思った。
その時の事を考えて、バス停の名前だけは覚えておいた。

兄と姪っ子の住む町のバス停で降りる。東京はどこまで乗っても同じ料金なので助かる。
空は相変わらず曇っていた。どこか異常じゃないかと思えるほどの鼠色だった。
俺はバス停に腰掛タバコを一本吸う。
携帯電話を取り出して兄の家に電話する。もうバス停まで来ていると言えば追い返されたりはしないだろう。我ながらせせこましいと思うが鳥を飼い続ける自信がない以上、鳥にとっても早めに元の家に戻った方が良いだろうと思う。
しかし電話が中々繋がらない。
出てくる時に電話してくればよかったかと思いながら、しかたなく鳥かごを持って歩き始める。兄の家はバス停から近いがやたらと長い坂がある。だから出来れば車で迎えに来て欲しかったのだが、電話に出ないのだからしょうがない。

だらだらと陰鬱な気分で坂を上り続ける。休日の昼間の住宅街。しかも曇り。
タバコも吸えない。手には鳥。これはひとつの最悪である。
兄の家の正門にたどり着いた。何故か人気が無い。

兄は夜逃げしていた。

今度はあの坂をじりじりと下っていく。坂の下りは楽だと言う奴がいるが、俺はそうは思わない。坂は上りも下りも嫌なものだ。

帰りのバス停をとりあえず二つ先で降りた。あの老人を探すためだ。しかし降りた後でどうしたものかと思った。とりあえずバス停に腰掛て、タバコを一本吸う。段々と嫌になってきた。このまま鳥を置いていっても、誰にも責められる筋合いはないような気がする。そうしてしまおうか?
ひょっこりとあの老人がやってくるのをどれ位待つつもりなのか?
それとも気合を入れて引き取り手を捜すか?

タバコを吸い終わる。

俺は鳥かごを持って、もう一度今乗ってきた反対方向のバスに乗った。

バスは兄の住んでいた町を過ぎ、駅前を過ぎ、郊外を過ぎ、学校を過ぎ、病院を過ぎ、やがて終点へとたどり着いた。
俺は終点でバスを降りた。

河原があった筈だ。いつか姪を連れてきた事があったので覚えていた。その河原の向こう岸には、人の手の入っていない山があった。

河原についた頃には、曇りのせいもあって少し暗くなりかけていた。まだ夕方に差し掛かったばかりだと思うが、やはり嫌な気分にさせるような一日だったと思う。帰りに延々とバスに乗るのかと思うと、それもまた憂鬱だった。
河原に下りる階段を見つけると、早々に降りていく。俺は早く帰りたかった。

川べりにつくと鳥かごを開け放した。鳥は窓が開いても、いつもと変わらず平静だった。
俺は引っつかんで放り出してやろうとかごに手を入れると、途端に鳥は暴れだした。そして俺の手の隙間から逃げ出すと、あっという間に山の方に飛んでいってしまった。

かっらぽの鳥かごは実に無意味で虚しかった。
鳥が飛んでいった方を見上げると、山の方は少しだけ晴れていた。


散文(批評随筆小説等) 俺と鳥 Copyright 緑茶塵 2006-12-25 15:17:39
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