埴輪とクリスマス
たたたろろろろ


もっとさらけだしてもいいんじゃないか。おれはそう思う。鶏肉を食べながら。聖夜。鈴の音。しあわせな感じ。おまえが絵を描くのに深い意味を持たないのと同様におれが詩みたいなものを書くのにさして意味なんてものはないのかもしれないね。たくさんの食べ物のにおいが渦を巻いてやがる。あとづけやこじつけってそんなに醜いものだろうか。おれたちはそんなにうつくしいものだろうか。なあ、聖夜。醜くってもおれたちはあの綺麗な音を感じることができる。

って、おまえ、聞いちゃいないな。
おまえがさっきからずっと何を見ているか、何を気にしているのかはわかってるよ。それだって同じだ。あとづけ、こじつけ。そりゃ、おかしいと思っても仕方ないかもしれないな。ほら、あれだろ。あのツリーの頂点に、でん、おはします埴輪だろ。そうだろ。

あれは確かに埴輪で、確かにクリスマスツリーの頂点、本来ならきらきらと嘘みたく輝くスターのあるべき場所にあるんだ、埴輪。それは日本の古墳時代に特有の素焼の焼き物であって、古墳上に葬送儀礼のために並べ立てられたものだ。クリスマスとはなんら関係はない。それどころか宗教的な矛盾をはらんでさえいる。頂上に、でん。このクリスマスツリーは日本の歪んだ愛国心の象徴であると同時に、ちょっとした反抗みたいなものなんだよ。だって、みんな騒いじゃってさ元旦に参拝に行かないような奴らまでプレゼント交換「うひょー」「だれだよプレゼントに鯖味噌いれたのー」「はい、あたしー」「ちょっと骨がうるさいね」みたいなことになってるんだから、そりゃ嘆くだろ、ツリーに、一番上に埴輪も置きたくなるだろ。隣に土偶を並べたくなるだろ、本当は用途も目的も違うのにいっしょくたにするだろ。Wikipediaで調べていろいろ引っぱり出してきて配線の狂った脳みそが勝手に作ったりするだろ、あとづけ。こじつけ。うん、そういうことだ。簡単なことなんだ。そりゃなにかと複雑な道をまわってきたけども、鶏肉も冷めてしまって鯖味噌もぐちゃぐちゃだけども、結局はそうゆうことだから何も考えずに感じながら、たまにくだらないことを大真面目に言いながら、おまえは絵を描けばいいし、おれはなんかかんか書いていればいいんだ。なあ、聖なる夜は、まあいいけど静かな夜はありえないよな。鈴の音はとても好きなんだ、おれは。



自由詩 埴輪とクリスマス Copyright たたたろろろろ 2006-12-23 01:41:46
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