リアリズムについて
佐々宝砂

小学三年のとき、図画工作で足の彫刻(といっても粘土細工)を作った。手首から先の手か、足首から先の足をつくれといわれ、私は足にした。足の方が単純構造で指も短く、簡単そうに思えたのだ。基本的に、全員が自分の足や手をモデルにつくった。授業時間内につくりあげられなかった私は、家に帰って自分の足を見ないで粘土をいじった。なんで足を見なかったかというと、靴下を脱ぐのがめんどくさかったからである。

私には特に図画工作の才能はなかったと思うのだが、なんとか足に見える物体ができた。まあこんなもんでできあがりかなと思いはしたのだが、小学三年の私に突如としてリアリズムを追求しようという思いが湧き上がり、私は靴下を脱いで自分の足と粘土細工とを見比べた。なんだこりゃ?というくらいに形が違ってたまげた。

どこがどう違ったか。実は、私の足というのは普通サイズではない足なのだった。甲が低く全体に薄べったく、今現在の靴のサイズは25センチのA。幅広靴のサイズが3Eとか4Eとかであることを考えてくれればわかるだろうが、Aというサイズの靴はかなり甲が低く靴幅が狭い。しかも指が普通以上に長いため、サンダルを履くと指先が1センチほどはみ出す。おまけに指がばかに細くて、指と指とのあいだがすごく離れている。土踏まずはきちんとあるが、足の大きさに比べて妙に広く、しかも段差は少ない。小学三年の時点では25センチなんて長さはなかったはずだか、基本的かたちはそう今とかわりはなく、薄べったく指が長く土踏まずが妙に広い足だった。

こりゃ全然実物と違うなと思った私は、まず土踏まずをつくろうと足の裏側を削った。削った上で自分の足と見比べたところ、まだまだ甲が高すぎた。これではまだだめだと思ったので今度は甲を削った。高さはだいたい同じになったが、今度は指が短すぎる。しかたないから指の股を削って削って細く長くしたら小指が折れてしまった。こりゃあかんと思ってつなげた。そのうえで見比べたら、だいぶ私自身の本物の足に近くなり、私はまあ満足した。

翌日その足を学校に持っていって提出した。作品を見た図画工作の先生がいきなりいわく「ばかに薄いなあ」。クラスメートいわく「変な足」。確かに、私のつくった足をみんなの作品と並べると、明らかに薄すぎた。指が長すぎ、細すぎた。土踏まずが広すぎた。でもでもでも、私の足は薄くて指が長くて細くて土踏まずが広いのだ。それが私の足で、私としてはとてもリアリティのあるものをつくったつもりだったので、私は内心傷ついた。よっぽどその場で靴下脱いで自分の足と比べてみせようと思ったが、めんどくさかったのでやめた。

リアリズムという言葉をきくと、私はいまも自分の足のことを思い出す。


散文(批評随筆小説等) リアリズムについて Copyright 佐々宝砂 2004-04-02 03:24:10
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