小詩集【シンメトリー・パンドラ】
千波 一也
一、ハッピー・バースデー
たとえば今日が
誰かの命日かも知れなくても
生まれたあなたに
おめでとう
そうして
またひとつ
わたしは欠ける
たとえば今日は
誰かの鍵が消えるかも知れない
誰かの扉が崩れるかも知れない
すべてが見えてしまったら
正気ではいられない
それゆえに
わたしたちは
残されたものとして
同じように
誰かを
置き去りにする
そう、
わたしたちは
みごとに狂うひとつの歯車
たとえば今日で
誰かの城が滅び去ろうと
誰かの空が燃え尽きようと
キャンドルはいつも揺れて減る
莫大な時間は不足と似ているね
不幸というものをうたえるほどに
わたしはまだ
幸福を数えていないから
生まれたあなたに
おめでとう
かぎりを知って
祝福をしよう
二、水の瞳
まねごとはおやめなさい、と
たしなめられている
水の向こうにいる人に
あるいは
近くて遠い
水のおもてに
わたしのゆびは
冷ややかに
染まる
月明かりは物言わず
それゆえ夜は
何もかもが許されるはずだと
たたずんで
わたしとよく似たあなた
触れられず
聴けもせず
わたしはまったく及ばない
けれど
一枚の水の隔たりに
あなたもわたしに及ばない
向かい合うことが
ひとみ
通い合う
まなざしにだけ
姿ははじめてあらわれてゆく
水は
わらっていただろうか
にげていただろうか
わたしのゆびには
うるおいがひとつと
波のゆくえが幾重にも
透きとおる
それは
無限にひとつの
ひとみをこぼれる
三、舞う鈴の音に
鳥居に
菊花を吊るしたら
砕ける桟橋
傾ぐ舟
手鏡ぬぐえば
小太刀まばゆく
たちこめる宵
群がる灯篭
座頭の爪弾く
琵琶は千年
雀の遊ぶ
鳴子はこがね
雲居をながれる
琴の音ならば
せせらぐ川面に
満ちて
ひさしく
舞う鈴の音に身を尽くし
澪標こそ待ち人のかげ
舞う鈴の音に
道標
扇をかえせば
いざないの波
日傘はほころぶ
けなげな芳香
編み笠ひとつ
小石にゆるせば
むらくもの笑み
やわらかな風
舞う鈴の音に身を尽くし
舞う鈴の音に
語り部は
なる
四、シンメトリー・パンドラ
左目が宝石を映すなら
右の目には砂つぶを
片耳があしたを聞いているなら
もう片方で還らぬ日々を
此処が、いま
過ぎゆくすべてに挨拶を
迷わぬつもりが
いつしか独りきり
まんなかは見晴らしが良くて
寂しさをつぶやけば
行き場もないまま
とけてゆきます
いまが、此処
なるべく
痛まないようになら
開けてしまえる身だけれど
そんな事実は
にせものだと言われてしまいそうで
なんだか怖い
おなじ畏れを持つのなら
他人はどこまで他人でしょうか
鏡の前です
きょうもまた
いいえ或いは向こうでしょうか
あしたも昔も
みがいてはみがかれて
右腕は自分
左腕も自分
守っているような
閉じこめているような
欲しい答に
はぐれています
此処で、たくみに
五、鏡姉妹
しずくが微笑めば
そのつど国は
虹色に
音階はわかりません
でも
それは
いつか憶えた
果実と似ています
ひかりの器には砂漠を
おだやかな午後の
頬杖が
かなしみに怯えない
かなしみであるように
つばさの先にはうたがいを
ほら、ラフレシア
ツンドラの月を
迎えましょう
そのままで
そのままをすりぬけて
もて余すものは髪に乗せて
足りないものなら
つめの隅々まで言づけて
送りましょう
おおきなふねを
地球儀まで
贈りましょう
ワインのコルクを
雪降るそらへ
時刻にも時刻がつきもの
どうぞお忘れなく
確かめ合うための
ちぎりの姉妹の
在ることを
六、分水嶺
みぎてと
ひだりては
まったく違うけれど
まったく同じ
それは
重ねたかたちではなく
重ねようとする
その
こころのなかに
あらわれる
水を掬う両手は
かならず
わずか
こぼしてしまうけれど
そこから川は
ゆくのかもしれない
至らなさとは
おろかさを間違えること
風や海や星たちに
誰も
際限なく
こたえることはかなわない
おろかさとは
そそぐものを
あふれるものを
そのままにしておかないこと
ありのままを
ありのままに
誰もがきっと分水嶺
頂上高く
そびえることはかなわなくても
両手を重ねたかたちを知れば
流れは絶えず
よどみなく
誰もがきっと分水嶺
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