オー・ルージュ
あおば

ベルギーの
スパ=フランコルシャンという高速レースコースの名は知っていた。
その昔、伊藤史郎、が美しいスタイルでも知られたヤマハRD56に乗り
日本人で初めてベルギーGPの250ccクラスで優勝した。
その8年前の1955年、
第一回浅間火山レース
誰もが注目した250ccクラスでは、
およそスピードレースには不向きと思われた
4サイクルOHV単気筒、シャフトドライブのライラックで、
並み居る猛者を退けて弱冠16歳の若武者の彼が優勝した。
舗装されていない石ころだらけの荒れた道を
ロードホールディングに劣るシャフトドライブ車で勝ったので
世間の人は驚いた。
これはただの推測だが本田宗一郎も驚いて、口惜しがったのではないだろうか
ライラック社の社長は彼の修業時代の兄弟子で第二次世界大戦前からの仲で
ライバルでもあったわけだ

浅間火山レースのあと才能を認められた伊藤史郎は、日本のBMWの代理店、
バルコム貿易のレースチームのライダーとして500ccクラスでヨーロッパ
を転戦したが、

BMWは本来サイドカー用のモーターサイクルで、重心が低くバランスの良い
水平対抗2気筒エンジン、いわゆるボクサータイプのエンジンを積んだいる
安定は良いがカーブで思い切り車体を傾けるスピードレースには不利である。
ついでに言うと、ダイハツの乗用オート三輪BEE型にも、貨物用オート三輪
では愛知機械のジャイアントにもこのタイプのエンジンが採用されていたが、
コンパクトなエンジンが好まれる現在では少なくなって、今、よく見るのは
独特の音で有名なスバルの乗用車、レガシーくらいかな

カーブでも思い切り車体を傾けてスピードは緩めないで走るから、路面にシリンダーヘッドが
ぶち当たり、だんだんすり減ってギザギザになってゆく
もう一台もう一台と前のバイクを抜いてゆく
スピードは約250Km/h、しかしちょっとでも気を緩めると隣のハイチューン
された、伝統のイギリス製、単気筒車、ノートンマンクスが追いついてくる
さすがに生え抜きの油断のならない連中だ
先頭は消防ポンプとあだ名された、イタリア製MVのDOHC4気筒、パワーは
あり余っている
もう一周で前のノートンの集団に追いつき抜けると思ったら、チエッカーが振られている
しまった、周回数を数え間違えたと、うなだれて歩き去る彼の背にパチパチと拍手が届く
最後の追い上げで今日の最速ラップを出したのだ
欧州のバイク雑誌には、派手にシリンダーヘッドを路面に擦り付けるイラスト付きで
オーカミカゼと囃された、10代の姿だった

彼のBMWが、スパ=フランコルシャンで走ったのは覚えていないが、10位の記録が
残っていた。
1963年に250ccクラスで優勝した日にも、
西ドイツ製、クライドラーに乗るアンシャイト選手の繰る、
4×3=12変速の
10PSくらいの
小さな50cc2サイクルマシンの音が、
カーブの度にめまぐるしく変速する時の、
パイプオルガンのような音が森に木霊したとの愉快な記事は良く覚えている。

それではF1レースはどうだったんだろうと調べたら、ロータスのJ.クラークと
かっこいい葉巻型の時代の常勝車と選手の名が記されている。


最近ではイタリアの赤い跳ね馬、フェラーリに乗るミハイルシューマッハが、3000cc、
V型10気筒、800PSオーバーで余裕綽々、で勝っているが、
1992年、ベネトンに乗る彼が非力なフォード8気筒エンジンを振り絞り、
常勝マクラーレンを追っかけた、獅子奮迅の走りはぞっとするような迫力で、
宇宙を跳んで世界中を駆け巡ったんだと昨日のようにそのテレビ画面を思い出す。
楽々と先頭を走っていてもオー・ルージュの森は魔物のようにエンジンパワーを吸い込んで、
少しでも油断すると絶対に勝たせてくれない、そんな恐ろしい森だということも分かったような気がした。
そして、その恐ろしい森を苦労して抜けたからこそ小さな車のライダーたちも伝説になったのだとも。








過去作


自由詩 オー・ルージュ Copyright あおば 2006-12-10 22:16:32
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