蒼茫のとき—死の風景
前田ふむふむ

     1

漆黒の夜を裂いて、神楽の舞が、
寂びた神社の、仄暗い舞殿で、
しなやかな物腰を上げる。
右手は、鈴の艶やかな音色が、薫る。
あとを追う鳥のように、左手の扇子は、鈴と戯れる。
女は、張りつめた気配に身をまかせて、
青白い一夜を舞いつづける。

夜の月を切断しながら、
女の馥郁が、脇役に控える、森の尖塔たちを、覆い、
揺れる濃厚なみどりの波紋に、
眩い闇の閃光が、ゆっくりと、衣を脱いでゆく。
森の波紋は、女の舞いに合せて、ときの傲岸を超える。

     2

轟音が騒ぐ、耳は大きく夜の言葉を拾い上げる。
甲高く滝が砕ける音が、清められた夜の芯を貫き、
立ち込める霧が、森の寒さを、悉く埋める。
わたしは、紫色の透明な布で巻かれた、
舞殿の痕跡を、わずかに留める、記憶のひろがりが、
欝蒼とした木々の群のなかで、篝火を焚いて、
顔を扇で覆う巫女の青い姿態を、耳の奥で見つめる。

白い夜が、数度、鈴の煌めきを、走らせる。

ひかる暗闇に包まれた、耽美な織物を、
一瞬、煮えたぎる白昼の狭間で見たように、
秒針は動いたが、寡黙な梟の羽ばたきが、
耳に飛び込んできて、わたしが、失われた夜の、
過去の月下にあることを、知らせてくる。
何枚もの黒い布を被せた夜には、体臭がない。
盲目のみずおとが、流れるだけだ。
嗚呼、生きた汗の、生ぬるい体臭が恋しい、
死者の夜を暖める、モノクロームの写真が、
わたしの掌に置かれている。
その手のなかでもえる、甘美なときの翼が
錯綜する夢を、意識の皮相に浮かべる。


     3

夜の渇き。絶望。そして偽りの昂揚。
砂塵の海に、打ち寄せる闇の高まり。
暮れる静脈の血液の鼓動を抱く、
満ちたりた夜が失踪する。
  
沈んだ意識を立ち上げて、
わたしは、歩幅を強く、ひきだす。
モノクロームの写真にむかって。

顔を扇で覆う巫女のまえの、みずたまりには、
黒い斑糲岩の墓碑が、寂しく佇み、
時折、強い風に揺れて、いく度も砕け散る。
墓碑銘が無い匿名の黒い家は、
鬱蒼とした死者の森の彼方、
硬直した空気が、滲みこみ、湿った水滴を、
搾り出す大きな欅の木に、背中を凭れて、
かなしく横たわり、
花束を持って歩む、青白い顔をした、
わたしの目的地をしめして、静かに枯れた声を吐く。

     4

わたしは、墓碑に花を供えると、太陽のひかりが、
墓碑とわたしを鋭く裂いていく。
壊れてゆくかなしみ、死する者と生きる者とが、
混ざり合い、生命の安らぎの時を生みだす。
それは、思い出が燃やすときの、妙なる帰還。
死者の森は樹皮の内部から、
柔らかい精気を溢れさせて、
瑞々しいみどりの音素を取りもどす。
その粒子が、湿度計が振り切り、
淀んだ空気が充ちる墓碑の上に降りそそぐ。
墓碑の上には厳かに、名前が刻まれる。
巫女の扇が静かにはずされて、懐かしい顔を見せる。
見開かれたいのちの繋がり――。
甦る暖かい血の流れ――。
二つの世界が同じ時間を歩きだす。
燦燦としたひかりの階段を、水仙が咲き誇る朝に、
ふたりが歩む。

わたしの躰から、わたしの眼から、思わず湧きだす、
赤い号哭が、地を這い、遠い空に響きわたり、
津波のような溢れる声が墓碑を覆うと、
死者は、徐に、墓碑の中にふたたび、隠れていく。
わたしは、大声をあげて、何度呼んでも、
黒い家の主人は、二度と現れることはなかった。

      5

モノクロームの写真が、
掌のなかで、燃えている。
ライターを握る手が震える。
静寂のむこうに、ふたたび、
生ぬるい夜が窓を開けることは無いだろう。

わたしの手に、木漏れ日が射している。
新生を照らす大きさだけを
いのちの鋏が切り抜いて。

  




自由詩 蒼茫のとき—死の風景 Copyright 前田ふむふむ 2006-12-09 12:42:22
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