わたしは、アルファであり、オメガである
杉菜 晃



 詩とはそもそも預言の性質を持っていると、
私は考えている。過去をさぐって、未来に役
立てるのが歴史とすれば、詩とはもっと漠然
としたものを、実証に基づかずに、さらに言
えば、無責任に書き、謳うことが許されたも
のだ。効用がないからこそ、効用がある。そ
のことを精神の解放と繋げて考えてみたかっ
たが、紙幅がない。
 詩の預言の性質に話を戻すと、何も託宣を
詩に綴るだけが預言ではない。本人は想像力
を駆使してものしたつもりでも、そこに神の
意志は宿っている。空疎な手紙は苦手なもの
も、詩なら書けるのはそのせいだ。言霊とも
言われる所以はそこにある。これは無神論を
標榜するものにも該当する。神は自ら存在を
主張するために、あえて敵対関係をつくりも
するからだ。
 人はそれぞれ分に応じて役割が違う。詩人
には詩人の働きがある。そして詩人が空想の
つもりでも、それが詩である限りにおいて、
捉えられているのだ。捉えられて書かれたも
のが、荒唐無稽の夢物語のはずはない。
 予言詩ではなく、預言詩として、意識する
しないに関わらず、神からくることばを旨と
したが、私はクリスチャンとしてキリスト教
の立場を取っている。しかし教会が正しいな
どと言うつもりは毛頭ない。むしろ神の意志
は「詩と思想」誌をはじめ、ことばを扱う世
界に潜在していると思っている。
 一時キリスト教に深く懐疑を抱いて、神に
問うたことがあった。夢で石蹴り遊びをして
いた。何度挑戦しても、結果は三位。せめて
二位になりたくて息詰まる接戦を繰り広げて
も、結果は三位。
 目覚めて、これが神の回答であったことを
知る。つまり三位一体の神。三位でよかった
のである。爾来上から来るものを斥けられな
くなっている。今も私にハバクク書三章を提
示してきた。ああ、今はもうそこまで来てい
るのかという感懐がある。
         
「詩と思想」誌掲載作

           



散文(批評随筆小説等) わたしは、アルファであり、オメガである Copyright 杉菜 晃 2006-12-07 21:42:45
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