なにを おもう?
わら

なにを おもっている?


なにを 悟る?


すべては さみしさのそばにある。




酒が滅びのそばにあるのならば

とめどなく それをあおることもできようとも。




孤独でさえ 完全なものは得がたい。


滅びさえ たやすくは選べない。




なぜ こんな ここちになる?


このこころが わるいのか?



本質は

孤独か?

妬みか?

肉欲か?


肌の ぬくもり?


こころのそば?



わたしが 乞うほどに 願うものは?






この熱も

純粋も


なにもは かなはず

むなしく はきすてられるばかり。




この妄想は

想像でしかないのか?



なにゆえ これほどまでに 狂おしい?



これが 想像でしかないとして


なにゆえ これほどに 痛まねばならない?



せめて 酒を飲んだときくらいは自由にしてほしい



なのに 俺は 今日も酔えない。



ただ もうろうと まどろみだけがある。


そして それさえも すぐに さめてゆく。





誰の そばなら?


なにの そばなら?


わたしは いやされる?



この光景から のがれられる?





酒が 滅びと 同じ道筋にあるのなら

わたしは おなじ直線上に立っている。



だけど、 そんな酒は 飲むな。

そんな酒は 飲まない。




だから俺は それにさえ いやされず、


また 酔いの覚めとともに

日常に帰っていく。



なにも 痛みは かわらぬというのに。



焼きつく想像も はらえず。




そう。 その真偽さえも たしかではない。



だが、 いつも 悟りは たがわぬのだ。



真実などは いつも冷酷。







ただ わたしは

酔いなのか

妄想なのか


なんなのか



なにものかに 翻弄されながら、

たしかなものなど なにもなく


苦痛のみに ただよっている。


なんなのかさえ わからぬまま

シさえも えらべぬまま


まどろみの中に ただよっている。


おまえは

なにに  抱かれたい?













自由詩 なにを おもう? Copyright わら 2006-11-25 22:24:09
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