戦争を知らない
竜一郎

 戦争を知らない。
ぼくらは戦争を知らない、と、いいえるのだろうか?
「イラク」とか「サマワ」とか「アフガニスタン」とか
いろいろな地域の言葉がテレビに映っていたけれども
さっぱり判らなかった。
いま、気づいた。
戦争が起こっていたのか、と。
いまさらのことだ。
自衛隊が撤退してしまったあとの。
選挙が遅れているとか、
いまでもおそらく苦しんでいる人が多くいる、
よく理解できないところのこと。

 六十年前の戦争は、知らない。
けれども、アメリカはあんな風に爆撃機を飛ばして
米兵はたくさん傷つきながらたくさん殺したのだろうか
と考えると、ぼくらは「戦争」を知らないとは
言わないのじゃないかと、思った。

 しかし、戦争を知らない。
ぼくらも、戦争を体験した人もおそらくは。
それでも、傷つくことの嫌さ加減はわかる。
武器がなくなれば楽なんだろうけれど
それでは困るニンゲンがいるんだろう。
これからも、大地は血を啜り続けるだろう。
聖地は汚され続けるだろう。
建物は壊され、特定の人種は迫害されて、
家族が殺された人は相手を殺したいほど憎み、
殺して、死んで。
それをするのは、やはり、
戦争を知らないぼくらなのだろう。

 いつか、まだ見ぬ子どもたちが
銃を取る日がやってくるかもしれない。
どれだけ、人殺しを減らせるものだろうか?
どれだけ、核の恐ろしさを叫び続けられるのだろうか?
それを知る前に、無責任にもぼくらは死ぬだろう。
何も叫ばぬまま、何も悔いぬまま。
殺すだけ、殺した後で。


散文(批評随筆小説等) 戦争を知らない Copyright 竜一郎 2006-11-24 17:40:46
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