杉菜 晃


山里に出会ふ少女はひたすらに
   坂下り行きはたのトマト赤し




D展に出す絵のモチーフを探して
山地を旅していた
山里の道を歩いていくと
籠一杯のトマトを背負った少女と出会った
―おいしそうだね―
ずっとひとり旅をしてきた人恋しさから
私はそんなことを口走っていた
―どうぞ―
少女はお守りしていた背の赤子を
見せるような仕種で
旅人の前にトマトの籠を向ける
―ありがとう では一つだけ―
私は遠慮がちに一つを摘まむ
―好きなだけ―
少女は言って 背の籠を揺すった
私は三個貰い受けてバッグに入れた
―貰うだけで 何もあげるものがないなあ―
バッグの中をかき回しながら洩らす
―いいのよ あなただけが 
欲しかったのだから―
投げかけられたことばを素直に受取らず
私の歪んだ情念が躓いているうちに
少女は歩き出していた
私はその少女の背に
―ごちそうさま 電車の中で 
思い出しながら食べるよ―
ととっさの言葉を投げやるだけだった
少女は一瞬歩みが止まったが 
振り返ることはなく歩いて行った


電車に乗ってから 
一個を取り出して眺める
少女の頬も日焼けして 
これに近い色艶だった
ひと齧りする
太陽の熱を吸収したトマトは
まだあたたかい
食欲も出て深く歯を立てると
トマトの果肉が迸って 
目の中に飛び込んできた
私はそれをハンカチで拭い取る
涙はそのあとから静かに湧いてきた
何だろう これしきのことで




自由詩Copyright 杉菜 晃 2006-10-24 07:48:06
notebook Home 戻る