薬理記録 10/19・20
六崎杏介

記録 ビジョンと思考、閉鎖



十月十九日

PM07:00
午後七時、大量の薬を持って途方に暮れる。烏丸丸太町、を覆う倦怠。

PM07:30
携帯が止まっている事に気が付く。それだけで山奥は閉鎖された空間になる。
バスはどんどん孤独に切り込んでゆく。窓に映る他人らしい他人。
全ての妊婦を刺殺する、そういう悪意は誰の物だったか。私は案山子、裸足のルビー。
一歩づつ、光が収束へと足を進める。堆積した音を微かに舞い上げながら。

此処には赤い約束しか無い。

青々と繁ったフェンスが、街灯の下でほどけてゆく。蔦屋敷は過去を取り損ない、命は灯らない。
銀鱗の月が、送電塔に釣られて窒息している。秋の虫は大合掌しているのか。
聞こえ無い歌は微かに、止む事をしない。赤い約束を緑青が蝕む。

PM09:30
無音、単音。ピアノ弾きは茶色い染みの付いた包帯に頭蓋を預けていた。
例えば、世界が円錐であるとして、きっとブレスはその頂点から世界の壁面を揺らすのだと。
子供達、私に会いに来れなかった私の子供達が耳をぴったりと付けている、その壁面を。
無数の綻びが、空から糸を垂らしている。首を吊る道化の群れに、鉄砲百合が喚く。
此岸で燃え尽きた彼岸花は、何体の生命を火刑にしたか。星同様に、数える事は出来ない。
妊婦の足が、ルビー色に爛れてゆく。少女の胸が、柘榴の様に弾けてゆく。

終息に足を進める硝子張りの光と、辛うじて赤い、瀕死の約束。

メビウス状に接着されたフィルムが夜露に永遠を映写しようとして、機械と絡み合う。
其の淫らな動作音に、嘔吐する潔癖な山羊のペニス。吐瀉物から産まれた小人が歌う。
アッシュトレイに輝く針を落とす。フワリと灰色の音楽が舞い、すぐに私と一緒に睡りに墜ちる。
幾重にも夢が積もり、赤い約束はもう見えない。

PM11:30
カラスが連れて来た中途覚醒が、複雑な黒闇の構図を網膜に貼付けた。
存在しない遠雷が、彼の生来の自殺願望を果たしている。それをパースで裁断する。
バースディカードとして最古の妊婦がそれを愛用するだろう。そうして私は朝を願う。
官能的に、開いた蝙蝠傘が雨をねだっている。


十月二十日

AM06:30
こびりついた夜の、墨書きの遺書を、霧が洗っている。

PM01:12
襖の向こうにいた、分度器を玩ぶ座敷童の前髪が、窓枠からの入射角を暗示した。
オーディオが畳の目に落ちて薄く積もってゆく。

PM05:40
死んでゆく、夕食のサンドウィッチ。緩慢なアーチを越えて、彼岸へと、彼岸の石へとなってゆく。
陰気な、真摯な、手向けられた祝詞。無数の針が、四角く切り取られスクラップされた棺に刺さる。
絶対無が氾濫する。天の頭蓋からそれは溢れ出している。美しい女だろうか、と考える。
色欲が、揺れている。頭上30cmのメトロノーム。絞首台のロープの様に、甘美に揺れている。
輪廻の雫を持たない私は、ぼんやりと煙草の煙が蛇行するのに眼球を預けて、溶け出す。

PM08:22
極めて冷静に、自室を眺める。吸い殻がこぼれる灰皿。空き缶の類。薬の残骸。かつてサンドウィッチであった物。
かつて、日光が差していた窓。そこからアルコールの様な夜が流れ込んでいて、溺れてしまう。
サイレースを服用したTVの明かりが、サンドウィッチや、全ての死者に、世界の夢を見せている。
万象があるべき墓場に固定されている。私はベッドの上で遺跡として横たわり、世界の夢に埋没するのを待っている。

PM11:09
ペン先から、微睡みが流れ出てゆく。折り畳んだ便箋の隙間から漏れた夢魔の呪詛も、畳の目に吸い込まれた。
化学製の覚醒を、甘い弛緩が包んでいる。星を一つ、夢魔の背中に落としてやる。
私の頭蓋の中の、番いの、蜂鳥が、仲睦まじく寄り添って眠っている。そんな気がした。
難破したボトルシップが、何処にも逃げられぬ事を悟って炎上し、火炎瓶になる。
そして死ぬ。TVは新しい、世界の夢を獲得する。死者に、遺跡に夢が積もり、指も動かない。


散文(批評随筆小説等) 薬理記録 10/19・20 Copyright 六崎杏介 2006-10-21 23:55:55
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