図書館に通う
吉田ぐんじょう
身分証明書を
と言われて財布を探ったが
パン屋のレシートがぱらりと落ちただけ
カード入れにはブックオフのカードだけ
午後の図書館だった
カウンターのミセスは
住所と名前が記されている 国が認めた公的な書類
を見せて戴かないと身分確認をしたことにならないのです
と
息継ぎ無しで「す」の余韻の最後まできちんと発音した
彼女はきっと
昔は素晴らしい水泳選手だったのじゃないかな
美しいクロールで何処までも行けたんだろう
今もそうなのかもしれないけれど
ミセスの呼吸はわずかにカルキのにおいがした
図書館の床は不思議な材質だと思う
確か週末に行った病院の床も
こんな材質だった
そくそく という足音
何か無性に歯がゆいような
居ても立っても居られなくなる
病院のときは血圧を測定したんだった
無駄に何回も
そんな事したって何もならないのに
父はあんなにも静かに
あの時あそこで眼をつぶっていたのに
ふと泣き出しそうになったので
そこいらにあった本を抜き出して開いた
それは猟奇殺人事件のレポートだったが
構わず読んだ
隣に立っている女の子は
手芸の本を読んでいた
日暮れてから家に帰り
おせんべいの缶にとっておいた
思い出の手紙や葉書やダイレクトメールを床に積み
国が認めた公的な書類を探した
わずかに偉そうな感じを受けるものを選り分けてみた
残ったのは年賀状だった
その年賀状は国から届いたわけではない
遠くに住んでいる伯母さんからもらった
年始に投函する葉書として
広く認められ使用されているものなのだから
国の偉い人だって年賀状は使うと思うから
大丈夫だろうと思ってそれをバッグに入れた
伯母さんの字はとても綺麗だった
翌日の昼
水泳選手のミセスにそれを見せると
彼女はすこし笑った
魚が気泡を吐き出すときみたいだった
それを見て
ああ何時かこの人の泳ぐさまを見てみたいな
と思った
身分証明が出来ないわたしは
半透明のプランクトンのようだ
いっそこのミセスに連れられて
深海で小海老にでも食べられてしまいたい
ミセスは笑い止んだ後
伯母さんは字が綺麗でらっしゃいますね
と言ってくれた