砂漠へ行って死のう
しゃしゃり

女にふられたので、
好きで好きでたまらない女にふられたので、
砂漠へ行って死のうと、
そのままとかげとかハゲワシだとかに、
食われてしまおうと、
十月の運動会で俺は考えた。
町内会のかけっこで張り切って走った。
どうせ景品は鉛筆と温泉の素なのだ。
だが俺は赤道を駆けるように駆けた、
そこが砂漠でもあるかのように。
第三コーナーで膝が外れた。
倒れて空を見上げ、
うろこ雲がきれいだと思った。
とんぼが逡巡するみたいに、
俺の上がり下がりする胸のうえに留まった。
死にそこねたらこんな校庭の上だ。
死ぬのは五十年待とう。
べつに百年でもよいが、
さしあたって五十年待ちます。
介抱にやってきた保健委員のお姉さんに、
ぼく、待ちます。
と言った。
べつに待たなくてもいいですよ、
ベッド空いてますから横になっててくださいね、
とお姉さんはやさしく言った。
それで保健室のベッドで、
膝をぐるぐる巻きにされて、
果てしない五十年のことを思い描いた。
しかし、本当に果てしないのは、
こんな秋のよく晴れた一日のことだった。
俺にはもう、
あの女がいない。
つめたい風だ。
絶望的な一日だ。
今日死のうが五十年後に死のうが、
俺にできることは、
ひとつしかないではないか。
俺はあの女を愛する。
それでも愛する。
あと五十年愛する。
百年でもよいが、さしあたって五十年にしとく。
俺のことを、
想ってくれなくても、かまわない。
もう失うものはない。
鉛筆なんかいらない。
もう望むものはない。
温泉の素もいらない。
ただあの女を愛する俺でいる。
砂漠のとかげになって、俺はあの女を愛する。
砂漠のハゲワシになって、
砂漠にハゲワシがいるのかは知らんが、
俺は秋の空からあの女を愛する。
そして、五十年後、
砂漠の真ん中でバッタリ膝をついて、
倒れようと思う。
わが人生に悔い無し。
そういう微笑みで、死んでいこうと思う。
だが今は腹が減った。
さっきの保健委員のお姉さんいいおっぱいしてたな。
おにぎりは持ってきてもらえないのだろうか。
乾いたおもちゃの銃声が遠くに響く。
実によい天気だ。





自由詩 砂漠へ行って死のう Copyright しゃしゃり 2006-10-09 08:59:56
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