妻の話
吉田ぐんじょう




最近
妻が出来た
嫁を娶ったのではない
わたしは女であるから

正確にいえば
嫁の方から勝手に来たんである

或る夜のことだった
四百円を手にちゃらちゃらさせながら
煙草を買いに行った帰り道
ついてくる女があるな
と思った
女は角を曲がっても曲がってもついてきて
とうとう家にまで上がり込んで来た
それが妻であった

妻は玄関口で礼儀正しく腰を曲げ

わたくしはあなたの妻です
何なりとお申し付け下さい

と言った

正直
白痴かと思った

一応
言葉を尽くして
わたしは女だし
とか
恋人があるから
とか
法律的には
とか
色々言ったのだが

いいえ
わたくしはあなたの妻です

の一点張りで
埒があかぬので諦めた

好きにしろ

と言い捨てたら
妻は嬉しそうな顔をして

はい

と靴を脱いだ

ぴかぴかとよく光る
きれいな靴だった



妻とわたしは毎晩おなじ布団で眠る
望んでそうしているわけでは無い
布団が一組しかないからだ
毎晩
妻は洗いものを済ませてから
するりと横にすべりこんでくる
黙っていると変なことになりそうだから
妻が眠るまでは
お話をしてやる
わらしべ長者とか
ジャックとまめのきとか

一度
宮沢賢治の『猫の事務所』を読み聞かせたら
涙をこぼして

かまねこがかわいそう

と言ったので
なるべく愉快な話をするようにしている

妻がわたしに
性欲を感じているかどうかは知らない

妻の体からは何か甘い匂いがする

ときどき
意味もなく胸が騒いだりもする



恋人が遊びに来た
妻を見て呆然としていた

三人で仲良くやっていこうよ

と言ってみたら
腑に落ちないような顔をしながらも

うん

と頷いた

妻は鼻歌をうたいながら
シュークリームを焼いていた

らら
とららら

恋人は黙りがちで
妻がわたしを

あなた

と呼ぶたびにびくっとしていた

妻は朗らかに恋人に話しかけ
珈琲をすすめた
変な光景だった

恋人が帰ったあと
二人で洗いものをしていたら

楽しい方ね
また来て下さるといいわね

と妻が言った

横顔が一瞬
鬼のように見えたが
見間違いだったろうか

嫉妬をしていたんだろうか



恋人から電話がかかってきた
妻は夕食の買い物に出ていて
わたしは太宰か何かを読んでいるところだった

電話は四十五分に及んだが
恋人が主張したのは一点のみだった
すなわち
妻と別れて欲しい
何故なら俺には君達が理解できないから


『斜陽』では弟が自殺したところで
山場だった
早く読み進めたかったので
折り返し電話することにして切った

枕に顔を埋めると
妻が柔軟剤を変えたようで
ふかふかと花の匂いがした
恋人にはそれきり電話しなかった

夕飯は厚揚げだった



妻がわたしを呼んでいる
行ってやらなければならないので
このお話はここまでにしよう

妻はとても小さいので
棚の上のものを取るのに
いちいちわたしを呼ぶのだ

顔について書くのを忘れたが
特に重要ではないだろう

妻は今日
花柄の浴衣を着ている
一緒に花火大会に行くのだ

あなたは脊が高いから
男ものを着てください

等と言っていたが

そうだ
りんご飴を買ってやろうかな

呼び声が一段と高くなる

わかったよ

今行くから



2006.8.27


自由詩 妻の話 Copyright 吉田ぐんじょう 2006-10-06 13:06:12
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