クジラになった少年
佐野権太
まめクジラの水槽には
売約済みの札が貼られていた
まだ幼いのか
さざ波を飲み込んだり
小さな噴水をあげては
くるくる浮き沈み
はしゃいでいる
こっそり水槽に指を垂らすと
あたたかい上顎で
搾るように吸いついてくる
店員が近づいてきたので
指先をぬぐいながら曖昧に微笑んで
店を出た
*
まどろみのなか、ほのかに漂う
磯の香りに目覚めれば
指先が鮮やかな青に染まっている
爪の隙間に小さな風を感じて
耳にあてがうと
静かな波音が聴こえた
*
退屈な授業は
頬杖を突くふりをして
潮騒に耳を澄ませていた
午後になると潮が満ちるから
どうしようもなく
ぽたぽた零れてしまう
白いノートに滲んだ青を
窓際の少女が驚いたように見つめている
握りしめていた手を
開いて見せると
瞳がさらに大きくなる
じっと僕を見据えたまま
机の中から抜き出した少女の手は
すべての指が
青く染まっていた
*
放課後
僕らは青い手をつなぎ
若い二頭のクジラになる
絡めた指から風が生まれて
細胞に織り込まれた
尊い海の記憶がよみがえる
子宮の隔壁をさするさざ波の振幅
懐に潜り込み暖かい乳を求める生命の純朴
滑らかな裸体を染める残照
低い遠吠えを放ち潜行する群青
家族のように手をつなぐ
僕らには
何の矛盾もない