紫煙
岡村明子

京急線高架の下に
救急車が止まっていた
それだけなら
人通りの多いこの界隈で
不思議なことは
何もないのだが
そこには二人の
警官がいた
警官の後ろ
あしもとに
くの字に曲がった
男が倒れていた

救急車に乗せるでもなく
なにより異様なのは
警官が男を隠すように
歩行者に向かって
立っていることだ

なぜ起こさない
人が倒れているのに
なぜ救急隊員でなく
警官がいて
なぜ倒れている男を
助けない
なぜ

同じ問いを
二度頭の中で反芻して
戦慄した

助ける必要がないから

私は
会社へ向かったが
汚い格好で
くの字に曲がって
顔をそむけた男の姿を
瞼から
払うことができない

会社帰りにまた同じ道を通ったとき
そこには誰もないばかりか
何もなかった
花があれば
あの男は死んでいたということ
しかしなかったということは
あれはただの酔っ払いで
警官は家族を待っていたのかもしれない

安堵して家に帰ると
家人にだらしない酔っ払いの話をした

しかし家人は意外なことを言った
私か通り過ぎた三十分後
そこを通った家人は
ブルーシートの囲いを
見たと言う
中になにがあるかはわからなかったと


やはり
あれは生きてなかったのだ
変死体
たしかに変な死体だった
なんで
高架下の狭い歩道の脇に
くの字になって
最期

しめったコンクリートに
花もなく
線香もなく
訪れる人もなく

あと20歩も歩けば
大病院がそこにあったのに

知らない人の死に
涙は出ないが
看取られることのなかった
魂のわびしさを思う

せめて
紫煙の中に
孤独な魂の
昇華を祈り見上げると

きゃ
という
断末魔の声をかきけして
京急線が走り去った



自由詩 紫煙 Copyright 岡村明子 2006-10-02 18:15:51
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