時のはしご
下門鮎子

いつもさいしょでさいごに
いまここにいる、

小石の投げこまれた池のように
よどんだ
時。わたし。

そうして飛び出した
時と時とをわたすはしごを
少しも休まずにわたる、
いつも時のはざまにいる
わたしたち。

今日、デジャ・ヴュにおそわれた、
前にもここを通ったことがある。
このはしごの両端は
誰が持っているんだろう。

持ち手の顔を見ようとしてみたけれど
いくらがんばっても叶わなかった、
そこは水のない、広大な
わたし でしかなかった。

誰もいない空間に投げこまれて
在ったわたし
そこでは足がなくなった。
本当にひとりで、
風船のように漂った――
もう天球も地球も見当たらなかった。

夜は怖くない、
怖いのは曇り。
でもこの冥さは夜じゃない、
目を開けてても、曇りのように
彼方は遮られるばかり。

ようやく目が慣れてきた。
足が生えてきて土をつかんだ。
誰かいる?
ふと振り返ると、家族が微笑んでいる。
かぞく、
風船が飛んでいかないように、
その糸をつかんで放さないもの。
わたしはそれをありがたいと思った。
すなおに、
むかし、少しだけ
うとましく感じたのとちがって。

小さいころ
ある日曜の昼下がり
いつもの居間

冷蔵庫の音
わたしはふいに「かえりたい」と思った。
急いでそれを飲みこんだ。
わたしは未来に帰りたかったのかもしれない。


自由詩 時のはしご Copyright 下門鮎子 2006-09-28 20:46:48
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