雑踏の中のひとり
杉菜 晃



―もう少し生きてみるか―
駅の改札を出てきて
ふと洩らした中年男のことば
連れがいるわけではない
一人で改札を出てきて
ふと洩らした独り言

僕は電車に乗ろうとして
改札に向っていたから
すれ違いざま男のことばを
聴いたことになる
あまりにもさりげない
呟きのようなものだったけれど
ただごとではないことば

それに気づいて
振り返ったときには
男はもう雑踏に紛れてしまっていて
聴いた僕も別な雑踏に
はまり込んでいった

ああ 
世の中にはこんなことばを吐く
魂が埋もれていて
ときどきふっと浮上しては
―もう少し生きてみるか―
なんて聞き捨てにできないことを呟き
何事もなかったかのように
また雑踏に潜り込んでいく

何という人間の不幸だ
洩らしてしまったものも
耳にしたものも
お互いに不幸の根を知悉していながら
しようこともなく
すれ違って行く

たまに僕みたいな抜け作が
振り返ってみるくらいのものだ
人は孤独だ
親がいても ひとり
兄弟がいても ひとり
友達が何人いても ひとりぽっちだ

ひとりぽっちだから
万人に向って
万人の中にいる自分自信に向って
―もう少し生きてみるか―
なんて言い聞かせなければならないのだ
もし僕が彼を見つけて
追いつけたとしても
―もう少しなんて言わずに
   もっと長く生きれよ―
と言ってやることもできないのだ
誰かいるかなあ
そう言ってやれるものが





未詩・独白 雑踏の中のひとり Copyright 杉菜 晃 2006-09-14 18:08:36
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