生唾ライフ
カンチェルスキス




 道端にメガネが落ちてたんだよ、それだけ。
 春なのに雪が降って、薬局のタモリは相変わらずびちっとポマードセンター分けだ。「ぢ」とは痔のことだ。「痔」のみなさん、おはようございます。今、思いついたんだけど、ポマードセンターってあったらどんなものだ。何して働いてるのかわからないんだけど、とにかくそこで働いてる人はみんなポマードだ。淡いベージュの作業服のようなものを着て、四角い箱や角のまるまった箱を手のひらで回したり、天井まで蹴り上げたり、枕にして相撲中継を見たりしてる。箱はちなみに全部透明だ。姿かたちは想像に過ぎない。けれども唯一はっきりしてるのは、彼らが、ポマードのみなさんが、てかてかポマードであるということだけだ。ポマードのみなさん、おはようございます。
 ポマードのちょうど分け目線にウニをのせてる人がいる。そいつは女がつい世話を焼いてしまいたくなるような男だ。
 中田英寿。中田英痔。誰もが思いつくようなことを大発見したみたいにふれ回っておれは世界を珍道中したい。
 最近、小学生の女に色目を使われて困ってる。小学生だと女の子と言ってしまいたくなるところだが、どう考えても女の目つきなのだ。振り返ってじっとおれの顔を見る、そばにきて見上げる、手をつなごうとする、しゃがんで、と言っておれの耳もとで何かささやこうとする。どれをとっても女特有の蛇っぽさくねくね光線に満ちてる。体から発してると言ってもいいぐらいだ。おれは純情生唾男なので、生唾で我慢する。というか、生唾を人生のメインとして考えてる。実際に、誘われて草むらで何とかしちゃって警察沙汰、臭い飯、ということはしない。生唾でいいんだ。この前だってそうだ。信号待ってたら、ランドセルの女が(たぶん小学校5年生ぐらい)おれの顔を見上げて、「ポップミュージックなんてただのクソだ!」と吐き捨てた後、抱擁を求めてきた。そのときの潤んだ瞳ときたら、まるで中トロの脂身みたいだった。そこでおれはオロナミンCを飲むみたいにして、生唾をごくり。ああ、殿上人の気分。抱擁はしなかった。
 生唾ライフ。
 最近、お年寄りの女に色目を使われて困ってる。お年寄りだと婆あと言ってしまいたくなるところだが、どう考えても女の目つきなのだ。押し車でゆっくり近づいてきておれの顔を2センチぐらいの距離で見る、肩に手をやっておれの肩を溶かそうとする、しゃがんで、と言っておれの耳元で一緒に死にましょうあるいはあべカワ餅を食べないやとささやいてくる。どれをどうとっても女特有の塩まじりナメクジ光線に満ちてて、老いてもなお盛んという言葉を思い出してしまうほどだ。実際に、戦没者慰霊碑がある公園墓地の片隅で何とかしちゃって警察沙汰、ど変態の烙印を押されるようなことはしない。生唾でいいんだ。この前だってそうだ。歩行者信号の青をスペードの黒に塗り替えてたら、ラクダが首をのばすみたいにしてお年寄りの女がおれの顔を見上げて、「エクレア何個までなら食える?」ってつぶやいた後、愛の放水を求めてきた。その心の中ときたら、推し量るに、彼女のダムは見るからに枯れていたんだけど、おれはやっぱり生唾専門家だから、生唾目的で生唾をごくり。ああ、猛暑時の喫茶店の冷水。放水はしなかった。
 生唾ライフ。
 最近、モーモーペンギンに会社の金を使われて困ってる。白と黒のぽっち模様だと牛だと言ってしまいたくなるところだが、どう考えてもペンギンなのだ。自分は牛ですよのろまなのんきな何も考えてないおおらかな牛ですよ石鹸の箱にも描かれてる由緒正しい牛ですよと言う顔をして、デスクに座りながらパソコンいじって会社の金を自分の口座に振り込んでる。使用目的はおれだけが知ってる。「牛の歩き方」とか「ミルクの出る仕組みQ&A」「食肉としてではなく乳業牛として生きるためのテクニック103箇条」とか「もっと牛らしく!」などの教則本やビデオを買うんだ。インターネットでアメリカとかから取り寄せてるという話はあくまでこっちの想像だ。あいつは牛になりたいんじゃないかっておれは日頃からにらんでた。
 ある日、大のほうでクソをしてたら、モーモーペンギンが隣に入って、おれの名前を呼んだ。
「なあ」
「何だよ」
「オレさあ、牛になりたいんだよ」
「知ってるよ」
「牛になるのが夢なんだ」
「何で牛なんだよ、おまえ。他にいろいろあるだろ」
「例えば?」
「ドラムスのアナコンダとか『チンピラ』撮影時の柴田恭兵とか。そうそう。ヤンバルクイナって毛の多い無精者のケモノみたいなのかと思ってたら、絶滅種の鳥だったんだよな。ゴリ押しスーツケースとか。いろいろあんだろうよ」
「いやあ、でも、なんつっても‥‥‥‥オレさあ、こんなふうだし‥‥‥‥」
「‥‥‥‥そうだったな。すまん」
「気にしてないよ。ところで、新社屋っていつできるんだ?」
「昨日だよ」
「そうか、昨日か。っていうことは、ここは新社屋か?」
「まあな」
「トイレットペーパー投げてくんない?」
「おら、よっと」
 モーモーペンギンはまだ牛になれないでいる。会社の金を使っても。ペンギンだったからだ。そして実は、おれも会社の金を使われて困るということはなかった。というのも、おれはたまたまここを通りかかっただけの人だったから。モーモーペンギンも。タンドリーチキンな関係。
 この話は生唾ライフとは関係がない。ラジオライフという専門雑誌がある。まあ、言ってみただけだ。
 先日のことだ。メガネを道端で目撃してからちょうど四日ほど経っていた。メガネはまだそこにあった。でも、四日前と違ってるところがあった。復元してたのだ。壊れてたのが嘘だったように。そして老婆が歩いてきた。スーパーの袋から長ネギを出すという伝統的な佇まいの買い物帰りの老婆だった。復元メガネが宙に浮いた。吸い寄せられるようにふらふらと老婆のほうに向かった。まるで生まれた川に帰る鮭みたいだった。鮭メガネが老婆の目元にばっちりおさまると、老婆は急速に小さくなって、おれを見上げて言った。
「ヴィンセント・ヴァン・バッハ」
 老婆はわずか1センチほどの体になってた。長ネギも同じスケールに。おれは見た。その一部始終をずっと目撃した。緊張してこんなことしか言えなかった。
「んん、間違い探し!?」
「イエス!」
 おれは自信を持って答えた。
「ヴァン!」
「ノー!」
 信じてもらえないかもしれないが、これは嘘だ。
 メガネを見るとジャブしたくなる男は、梅干が苦手な男だ。


 

 


散文(批評随筆小説等) 生唾ライフ Copyright カンチェルスキス 2004-03-10 16:17:15
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