『ささやかなその両手につつまれて』
角田寿星


娘のおえかき画用紙に 黒いクレヨンでおおきく ぼくは
パウル・クレーの天使の絵をかいた。

単純なモノクロームの曲線。いくぶん丸みをおびた輪郭。
やさしく閉じたひとみ。かるくほころんだ口もと。
「さくらんぼさん?」
「ううん、天使」「てんち」
おおきな三角形の翼。いつしかぼくはことばに出して絵を
かいていた。ほら まっすぐに突きだした四角い胸。ほら
こころなしか背は まるまってる。
らくがきにもってこいの「やさしい」絵。娘に言いきかせ
るように 歌でもうたうようにぼくは天使の絵をかく。
「むつかしいね、やっぱり」
「むむかしねー」
どこに出してもはずかしくない みごとなパウル・クレー
の天使だ。そして胸のまえでさりげなく組まれた両方の手
のひら。

ぼくはそこでクレヨンが止まった。天使がなにを大切そう
に持っているのか ぼくにはわからなかったのだ。
手のひらの間の微妙な距離にはじめて気付く。まっしろの
透明な空間になにかが確かにあったのだ。
妻は娘をだっこする。ぼくは妻をだっこする。そしてぼく
は誰かにだっこされる。だっこの陶酔感。

娘がぼくの天使の絵の上に 赤いクレヨンでおおきな円を
何個もかいた。天使の手のひらをはみだして 画用紙から
もはみだして。

いつだったか ぼくの好きな評論家が「日本人はクレーが
好きで困ったもんだ」と言ってたのを思い出した。
おおきなお世話だ。


自由詩 『ささやかなその両手につつまれて』 Copyright 角田寿星 2004-03-06 12:22:35
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