記号の人
仲本いすら
ボク達は、記号というヤツに囚われてると思う。
それが悪い方向に転ぶか、いい方向に転ぶかは
人によって違うとして。
パターン化された思考、パターン化された日常。
まるで誰かにプログラミングされてるかのような
そんな日常。
そういうのを感じる人だっていると、ボクは断言する。
いや、別にボク自身がそう思ってるわけではなく、ね。
たとえばボク達は、メールやチャット(中には手紙などでも)で
「顔文字」というものを使う。
(*´∀`*)こんなのや
・゚・(ノД`;)・゚・こんなの
(´・ω・`)こんなのだってあるし
|Д`)ノ⌒●〜*こんなのだってある。
顔文字というのは、つまり
私たちが文字では表せない感情を、記号を使って表してる
と、いうことですよね?
これはつまり、私たちは日常・・・記号に囚われてるってことになりませんか?
だって、たとえばですよ
例として
「やっほー(*´∀`*)ノ 今日バイトの面接受かったょん(* ̄д ̄)y-~~~~
これでやっと、金欠から脱出できるヽ(=´▽`=)ノ」
なぁんてメールがきたら
「お、こいつ相当嬉しいんだな」とか思ってしまう(と、思う。)
私たちは、記号に「人」を見出しているのではないだろうか?
メールなどで、顔文字が使われていたら
それは明らかにその「相手自身の顔」なのだ。
(*´∀`*)こんな顔文字が着たら、相手は喜んでいるのだと思い
・゚・(ノД`;)・゚・こんな顔文字が来たら、相手は悲しんでいるのだと
思ってしまう。
それがどれだけ怖いことか。
いや、怖いというのは語弊かもしれない。
しかし、記号だけに囚われるのは危険ではないか、と
ボクは言いたいわけですよ。
顔文字(記号)なんてのは、今の気分がどうであれ
指先ひとつで作れちゃうわけです。
私たちが普段使う「つくり笑い」なんかとは違い
それは完璧な「笑い」。
簡単にだまされてしまう。
記号に囚われないで。
記号を使うだけじゃない、言葉を上手に使ったコミュニケーションが
とれたらなら、ボクは
しあわせなんじゃないかな、とか
思ったりするわけです。
言いたいこと、まとまったかなぁ。