殺意
恋月 ぴの

いつまでも気付かなければ良かった
と思うことがある
熱帯夜の寝苦しさに目をふと覚ますと
わたしの知らないおとこのひとが
わたしの横で寝ていて
二つ並んだお揃いの枕と
ふたりで寝るには狭いベッド
左の乳房には五本の無骨な指先で
強く揉みしだかれた感触が疼く
そんな夜が明ければ
そのひとのために朝食を作って
「いってらっしゃい」
と笑顔で見送るわたしがいる
玄関にかかげた真新しい表札には
わたしの知らない苗字に添えて
わたしのなまえ
掃除でもしようと引き伸ばした
掃除機の電源コードは
いくらボタンを押しても戻らずに
だらしなく伸びきったままで
いつも恋愛小説を読み耽っていた
わたしは
情熱的なストーリーに憧れて
いつのまにか登場人物になりきっていた
日が暮れて家々に灯りのともるころ
ふたりきりの夕餉がはじまる
食卓には採れたての夏牡蠣
硬く閉じた殻を抉じ開けようと
わたしの知らないおとこのひとは
漁師が使うようなナイフを
わたしの視線にゆっくりと滑らせて
いやがる素振りを見せるでもなく
夏牡蠣は青白い内臓さらけ出し
軽く搾ったレモン汁
そのひとは美味しそうに舌鼓を打って
あの情熱的なストーリーの通りなら
わたしはきっと手にしている
排気臭が鼻につく掃除機の電源コード
総てが寝静まった寝室の
ふたりで寝るには狭いベッドの上
首に巻かれた電源コードの苦しさに
夏牡蠣を啜った舌はだらしなく伸びきって
何かを叫ぼうとしたおとこの口もとは
ぽっかりと深い闇への入り口
ゆらり漂う
わたしの青白い内臓と長い黒髪




自由詩 殺意 Copyright 恋月 ぴの 2006-07-20 06:59:37縦
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