小詩集【水没ハーモニー】
千波 一也



一、漕ぎゆく者へ


  明るいうたは明るくうたおう
  明るくないうたも明るくうたおう
  そうすれば
  必ず
  いつかどこかが壊れてゆくよ
  治すというのはそういうこと

  沈みのうたは沈んでうたおう
  沈まぬうたも沈んでうたおう
  そうすれば
  必ず
  浮いているかたちを知ってゆけるよ
  のぞみはいつもそこからはじまる


  好きなものを好きだと言えることは勇気だと思う
  嫌いなものを嫌いだと言えることも
  勇気だと思う
  けれど
  そのふたつを重ねてしまってはならない
  おそらく
  重ねてしまってはならない


  ふたつのかいなに櫂を分け持ち
  等しくはない配分のちからだとしても
  ふたつのまなこの捉えるものが
  一つという名のまぼろしだとしても
  その危うげな姿があるからこそ
  潮騒はやむことを知らず
  誰かが
  誰かの
  言葉となる


  漕ぎゆく者へこのうたを


  ふたつの鼻孔へ
  ふたつの耳へ
  ふたつの頬へ
  
  ひとつの舟へ

  漕ぎゆく者へこのうたを





二、漂流


  愛のうたはいまも未完成だから
  せめて
  おもりは丁寧に縛りつけてあげよう
  そして
  潔く両手を離そう
  
  いたずらな熱を与えてしまわぬように
  いまから澄んでゆこうとするものを
  いたずらに
  滲ませてしまわぬように
  潔く両手を離そう


  最後の水音は思った通りにあっけないから
  軽かっただろうか
  重たかっただろうか
  迷ったふりをしながら
  いつのまにか慣れてしまっている
  せめて
  擬音に委ねてしまわぬことが
  唯一のすくいのすべだと信じている

  最後の最後までには
  愛のうたが完成することを願いながら


  さよならの居場所は零度
  のぼることも
  おちることも
  平等にかなうところ

  なげきもよろこびも同じことかも知れない
  いたみもあこがれも同じことかも知れない
  だからきっと、

  続きの言葉は波間に託してオールを流した



  公平でなければ
  こうかいは終わらず
  こうかいは始まらないから

  公平であるためにオールを流した





三、水の廃墟


  みなもとの名を水だけは忘れない


  やさしすぎるのかも知れないけれど
  そうでなくては 
  なにも生まれてゆけなくて
  それを知っているから
  水は

  弾丸という異物を迎えることで
  鳥は空から落下してしまうように
  速度こそ異なれど
  確実に
  水は



  とても自然な流れのなかで地図から消えた場所がある

  或いは
  みずから隠れたのだろうか

    群れをなすものたちに
    たどり着くための手足は既に無く
    夢をおぼえたものたちに
    みとめうるための瞳は既に無く

    水たちの本能だけに護られて
    みなもとの名は
    もっともうつくしい廃墟のなかに溢れている



  没してゆくさなかには
  なにものの介入も許されない

  終わりゆくならば純粋に
  始まってゆくならば
  還る先を見まごうことの無きように


  もっともうつくしい廃墟のなかで
  みなもとの名を水だけが忘れない





四、くらげみさき


   まんげつのよに おいでなさい

   ひしめく よるの
   ひしめく よるべは
   ぼんぼりのよに たゆたうくらげ

   まんげつのよに おいでなさい



   かいがらねむる よを つぶる
   なみは つまれて
   こえ つむる

   こころ ゆくまで おさがしなさい

   からまるくらげは ときの から
   どく も 
   どかぬ も
   はり つめぬ きり

   こころ ゆく ま で おさがしなさい



   かぜに おと されぬよう
   のぞみの かげんを あやまらぬよう
   みさきは なが く
   ほそく する どく



   まんげつのよに おいでなさい

   ぼんぼりのよに とも し ましょう


   みつ かり ましょうか
   さら われ ましょうか

   ぼんぼりのよに とも し ましょう





五、しずくは波になる


  なにごとも無かったように朝は訪れて
  さかなたちは
  まだ走ったことのない空を
  みあげてひかる
  ひとつの大きなもののなかを泳ぎながら


  空から枝葉へ 
  枝葉からみなもへ
  しずかなつたわりはけさもこぼれて
  きらめく波を走らせてゆく
  それは
  幾百幾千の
  ねむりにつく些細なしずくたちの
  幾百幾千のめざめのしらべ


  ひとつのなかから無限はうまれる
  無限をほどけばひとつにあたる

  いつかしずくは流れを為してゆくように




  愛から鎖へ 夢から異国へ
  夏から沼へ 笑顔からつるぎへ
  記憶の日付が増えてゆくそのたびに
  しずくは


  窓辺に桟橋に
  レンガに丘に
  懐かしいときが降りそそぐ

  記憶の日付が増えてゆくそのたびに
  しずくは
  こぼれて 波になる



  手のつなぎにおぼえる温もりのような
  その輪をなぞり
  たどり

  たやすく忘れてしまえるような
  些細なものをなぞり
  たどり
  波は絶えずにわたりゆく

  しずくは波になる


  しずくは波になる





自由詩 小詩集【水没ハーモニー】 Copyright 千波 一也 2006-07-11 14:57:32縦
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