湯殿の龍
蒸発王
夏休みにしか帰らない
実家の銭湯には
青い富士山の変わりに
緑のペンキが色あせ
ボロボロに古びた
一匹の龍の壁画が
どん と
風呂場一面を支配している
田舎のせいか
夏場にもなると
銭湯には人だかりができ
僕はよく番頭に立たされた
そして
常連客の中に
一人の爺さんを見つけた
何時も無言の爺さんの
痩せこけた其の白い背中には
鮮やかな緑で
蛇の尻尾のような
刺青が彫られていた
ある夜
閉店間近
風呂桶の片付けをしていると
滑り込みで爺さんが入ってきて
背中を流すように頼まれた
面倒だったが
もっと近くで
あの刺青が見たかった
背中を洗いながら
近くで見ると
緑の刺青は恐ろしく細かく
丁寧に
鱗の一つ一つが彫られていて
青い線で縁取りされていた
爺さんは背中越しに
この背中の生き物は
龍なのだと教えてくれた
彫り師で絵描きでもあった爺さんは
離れ離れになる3人の仲間と共同で
この銭湯の壁画を描き
そして
4人が並んだら龍になるような墨を
お互いに背中に刻んだらしい
皆
死んでしまった
尻尾の自分だけが
残った
あの頃を知るのは
背中の尻尾と
そこに居る大きな龍だけだ
と
静かに笑った
この緑の尾の中には
よく見ると青だけではなくて
黄色や赤や黒群青が
入り混じっていて
きっと爺さんの笑いに色をつけるなら
こんな色だったろう
僕は何か
途方も無いものを思い
丁寧に丁寧に
龍の背中を流した
爺さんが脱衣所に消えた後
桶を片手に
背後の龍を見上げると
空気の反響に混じって
− −
と
音にならない
龍の鳴き声が聞こえる気がした